健全な利己主義のすすめ

市場経済が、伝統的な道徳観と衝突し、多くの人々に嫌われるのは、それが人々の利己主義を助長するからと信じられているからだ。私は、大学で経済学を専攻し、この問題をずっと考え続けてきた。しかし、15年くらい前にある結論に達して以降、自分の考え方はまったく変化していない。

私は、人々の「健全な利己主義」は望ましいものと考えている。私が市場経済というものを深く愛するのは、この健全な利己主義と相性がよいからである。それでは、健全な利己主義とはなんだろうか。

人間の身体は約60兆個の細胞から成り立っている。各細胞は、同一の遺伝情報を持っているが、構成する器官に応じて複雑に分化して、異なった形状や機能を持っている。そうした、多様な細胞の共同作業の結果として、人間の身体は存在し、機能している。

それは、第一に純粋に物理=化学的なプロセスであり、人間の意識を超えている。つまり、私たちが何も念じることなくても、多くの物理=化学的なプロセスが自動的に進行しつづけて、私たちの身体を存続させている。

私たちの意識が自分の身体に対してできることは、その自律的な物理=化学的プロセスにわずかな影響を与えて、方向性を微調整することでしかない。私たちは、自由に処分できるという意味では、自分たちの身体を所有していない。私たちが自分たちの多くの病気を防ぐことができず、やがて訪れる死を避けることもできないことから、これは明らかだろう。

私たちの意識は、社会的な存在として、この人間社会を生きて、この偉大なる身体の自律的物理=化学的プロセスを維持発展するのに必要な、物質的資源の獲得へ向けて努力する。食料を身体に与え、快適な睡眠に必要な住居を構える。そう考えると、私たちの意識は、60兆個の体細胞の主人というより、むしろ彼らに快適な生活を保障する代理人(agent)であると考えたほうがいいのではないか。

これは、まさに会社の経営者が置かれた立場と同じである。社長という肩書きがあったとしても、彼/彼女は会社の主人ではない。会社の所有者たる株主の代理人なのである。そして、社長は、長期的な企業価値を最大化するように行動しなければならない。そのためには、結局のところ、株主だけでなく、従業員・顧客・債権者・納入業者・地域社会等のさまざまなステークホルダーと互恵的な関係を築くことが必要になってくる。企業価値最大化といえば、利己主義の最たるものに聞こえる。だが、真にその目標を達成しようと考えれば、さまざまな関係者の利害について深く考慮しなければならない。健全な利己主義は、利他主義と区別がつかないのだ。

私たちの意識は、60兆人の株主=従業員から成る「自分株式会社」の社長なのだ。この60兆個の細胞たちの未来の幸せは、私たち一人一人の意識に掛かっている。彼らを幸せにすることこそ、私たちの意識の目標だ。そして、それは私たちを取り囲む自然的社会的環境に深く配慮することなしに達成できないのである。周囲の人々の幸せを考慮しない利己的行動は、長期的には持続可能ではない。それは、自分を幸せにしないという意味で、利己主義とさえいえないのである。

私たちは利己主義者であることを恥じるべきではない。むしろ、よりいっそう「健全な利己主義者」を目指すべきなのだ。