人生の転機

この秋は、はてな村の有名人たちが人生の転機を迎えているようだ。id:naoyaid:amachang が古巣を去り、id:Chikirin が高給を捨ててニートになった(はてな村では id: は Mr/Ms 相当の敬称である)。

私もまた先月、米国公認会計士(USCPA)試験に全科目合格し、会計畑の仕事に方向転換しようとしている。もっとも会計というのは私にとっては手段にすぎず、最終的には企業経営に関わる仕事に就きたいと考えている。

私は、26歳のときからずっと IT 畑の仕事をしてきた。途中、語学留学等で職歴が中断したり、職場が変わることはあっても、ずっと プログラマだった。だから、いま全く畑違いの分野に乗り出していこうとするのは、かなり勇気がいる。大学を卒業したばかりの若者が、希望と不安を持って未来の職業生活を見つめているような気分だ。

実を言うと、私は、いままでの人生で仕事が心底面白いと思った経験があまりない。仕事なんかそういうものだ、といえばそれまでだが、「仕事が面白くてたまらない」と笑顔で語る人たちを見ると、嫉妬に近い感情を抱くのも否定しえない。

私は、プログラマだった。たぶん技術的には平均以上のよいプログラマだったと自負している。しかし、プログラミングの仕事は決して好きではなかった。過去の職業生活のなかで、仕事を楽しいと感じたのは、顧客と直接話をして、コンサルティング的なサービスを提供していたときであって、ソフトウェアの設計や実装に関して、技術的問題で頭を悩ませているときではなかった。

ソフトウェアの設計と実装に関して、私がいい加減だったかというと、むしろ話は逆だった。私は、設計と実装に関して、人一倍、厳格な方針を持っていた。ソースコードにはそれ自体の美しさがある(ソフトウェアを作ったことのない人には理解しにくいかもしれないが)。美しいソースコードは、効率的であり、可読性が高く、ゆえに保守性も高い。私は、その美しさを徹底的に追求した。

ソフトウェア美の追求は、時に、職業的必要性の限度を超えていた。美しいソースコードは、確かに効率的だが、理解するためには高度な技術的知識が必要になる。職業的なソースコードは、通常、複数のチームメンバーによって共有される。ソースコードで使用される技術水準は、もっとも技術力の低いメンバーに合わせなければならない。チームメンバー全員の技術的水準が高いことはまれである。したがって、複数人で共有するとき、ソースコードは醜いものになる可能性が高い。

私は、それに耐えられなかった。私は、技術力の低いメンバーを罵った。よいチームプレーヤーとはいえなかっただろう。他人の書く醜いソースコードを読むのが耐えられなくて、私はたいていの場合、ソースコードを共有しないでも済む働き方を選択した。プログラマとして、私はいつも孤独だった。

なぜ私は他人の書く醜いソースコードに耐えられなかっただろうか。私は、ずっと考え続けてきたが、ようやく最近その理由を理解できた気がする。私は、ソフトウェア作りが嫌いだったのだ。嫌いなものをなんとか飲み込もうとして、美しさの追求にすがったのだ。

ソフトウェアは、この社会のなかで何らかの目的を達成するために存在している。銀行の勘定系のソフトウェアは、銀行の基幹業務を遂行するように、設計・実装されている。現実にそれは動いて、社会的に有益な仕事を行っている。そのとき、ソースコードがどれくらい錯綜して醜いものになっているかは、ソフトウェア利用者にとっては全く関係がない。ソフトウェアは動いてナンボのものなのだ。

ソフトウェアが現実に動作し社会的影響力をもつ側面に、もっと興味を持つことができたなら、醜いソースコードとそれなりに折り合いを付けていくこともできたかもしれない。しかし、おそらく私は、本質的にソフトウェアに興味がなかったのだろう。

私は13歳のころからずっとプログラムを書き続けてきた。最初に買ったパソコンは NEC の PC-6001mkII。Z80 という有名な 8ビット CPU を搭載した、当時の人気機種だった。BASIC を標準搭載していたが、動作速度の遅さに痺れを切らし、まもなく機械語でプログラムを書くようになった。機械語とは、コンピュータが直接理解できる数字の羅列で記述されるコンピュータ言語である。機械語と取り組むのは骨が折れるが、コンピュータの動作原理を理解するには、きわめて教育的だった(特に8ビット CPU は動作原理が単純で、より教育的といえた。現行の 32/64 ビット CPU は機械語でプログラムを書くには無意味に複雑すぎる)

少年時代、私は、筋金入りのパソコンマニアだった。リアルの友人が少なく、パソコンのバーチャルな世界により深く親しみを感じる人間だった。そのとき、私はコンピュータの基礎を叩き込まれ、デジタルネイティブとして成長した。

ところが、23歳のとき、私は突然、社交性に目覚めた。リアルの人間関係にはじめて面白さを感じるようになった。私の人生における大いなる断層である。以来、私にとって古い地層に属するコンピュータに対する興味と、新しい地層に属する対人的・社会的興味の間で葛藤してきた。

今回、プログラマとしての仕事を最終的に断念したのは、新しい勢力が古い勢力に最終的に勝利したということだろう。ただし、これが永続するかはまだわからない。なぜなら、私は新しい仕事分野においてまだ実績がないからだ。私の心は、まだ不安に震えている。

志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず、勇士は其の元を喪うを忘れず(志士不忘在溝壑 勇士不忘喪其元)。
(志士たるもの、常に志の途上で殺され道端の溝に捨てられることをも覚悟せねばならない。勇士たるもの、義のためなら自の首が敵に斬り落とされることをも恐れてはいけない)

坂本龍馬が好きだった言葉だ。成功し名を成すと期待して物事を興してはならない。損をすることがあっても、自分の志に従って生きていかなければならない、という意味に解釈している。

勇気をもって新しい一歩を踏み出していこう。私たちは、有限の命を持つ存在だ。いずれすべての人々が死ぬ。地球の悠久の歴史からみれば、またたく間ほどのわずかな時間だ。そのわずかな時間にこの命を燃し尽すつもりだ。