劉暁波氏のノーベル平和賞受賞騒動

香港を訪問するやいなや、反体制作家で服役中の劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞したというニュースが飛び込んできた。香港の街角で配られるフリーペーパーや電車の中の TV では、トップでこの事件を取り扱っていて、香港人の関心の高さを伺わせた。

劉暁波 - Wikipedia

1989年の天安門事件にわざわざ在留中の米国から駆け参じて、民主運動に参加。事件後、他のリーダーたちが次々に海外亡命する中、彼一人は国内にとどまって、運動を続けるという筋金入りの民主活動家。その激しい反骨精神は、ノーベル平和賞に値する。

中国政府は、彼の受賞が有力視され始めた最近、露骨にノルウェー政府に圧力を掛け、受賞後も、国内むけ報道は一切シャットアウト、彼の妻も事実上の自宅軟禁処分にするなど、大変な狼狽ぶりである。その態度はまるで尊敬に値しないと Lilac 氏に叱られてもやむをえないところである。

アパルトヘイトに反対し続け、27年間を監獄で暮らしたネルソン・マンデラを連想するが、中国が南アフリカと決定的に違うのは、その経済力である。中国はアメリカに次ぐ世界第2の経済大国なのだ。経済力の発展は、少し遅れて、政治力・軍事力の強化に結びつく。世界で中国の影響を受けずに生きられる人々は一人もいなくなるだろう。

このノーベル平和賞受賞は「中国よ、それだけ力を持っているだから、いい加減、その気持ちの悪い政治体制をやめてくれ」という欧米社会の不快感の表れなのだろう。中国の政治体制が変わらない限り、自分たちの自由で民主的な政治体制もいずれ脅威にさらされるリスクさえある、と。

中国の英字紙は「平和賞は西側の政治的な道具になっており、決定にかかわる人は、中国社会が政治的な対立で分裂することを望んでいる」と論評。欧米人からすると馬鹿馬鹿しい言いがかりだが、私は、案外、中国政府の本音が表れていると思う。

現在の中国政府には、国民からの監視機構が不足しているために、大規模な腐敗が発生しているのは間違いない。だが、私は、単に自分たちの物質的特権を維持したいがためだけに言論統制をしているのだ、という意見には組しない。中国政府は、政治的不安定性それ自体を親の仇のように憎んでいる。これは権力の座についた人間たちの、理屈では表現できない本能のようなものだろう。

私は、以前半年間、中国に住んで、中国社会のモラルや信頼感の決定的な欠如を目の当たりにした。大都会の知識層はともかく、地方に行くほど、日本人には想像しがたいほど民度の低い人たちがいる。いまの時点で、言論や結社の自由が与えられたとき、中国社会に何が起こるのか、私には想像つかないが、中国政府でさえ、同様の恐怖感を抱いているのかもしれない。

中国政府が取るべき現実的方策は、将来の民主化に向けての具体的なロードマップを提示することではないか。中国政府には面子があるから難しいだろうが、できれば国際社会にむけて、今すぐ民主化できない国内事情を真摯に説明し、経済発展とともに民心が安定するのを待って、段階的に民主化を進めることを約束する。中国政府はむしろ、民主化の条件整備のために、世界の国々にいっそうの経済協力を求めてもよい。こうすれば、完全な民主化まで数十年を要したとしても、国際社会から一定の理解も得られるだろう。

中国政府は「現在の政治体制は中国の特色である」とか強弁しているが、それが持続可能ではないことに、あの賢い北京の高官たちが気づいていないはずがない。これはあくまでも中国人的な面子の問題だ。今回のノーベル平和賞受賞は、彼らにとって最悪の形で中国政府の顔を潰した。当然、態度を硬化させざるをえない。こういう形の圧力が、中国から譲歩を引き出す上で最善なのかどうか、私にはわからないが、欧米人たちの苛立ちをたまにはストレートにぶつけてみるのもいいのかもしれない。人間、あんまり我慢しすぎるのは身体によくないからね。

ただ、日本人にとっては、隣国の中国はいまや経済上の最大のパートナーなので、中国が不安定化した暁には、自分たちも大きな損害をこうむることを覚悟したうえで、言動しなければならない。傍観者的な態度は許されないのだ。自分たちもすでに当事者なのだから。