中国という難問

私は最近、回心を迎えました。中国についてです。以前は、中国のやり方は乱暴だけれども一理あると考えていました。共産党は曲がりなりとも中国を物質的に豊かにしたからです。ですが、いまははっきり中国の現体制は悪だと思うようになりました。民主主義がなく国民の信任を受けない人々が国を統治する政治体制は、必ず権力の腐敗を生み、腐敗は国民に大きな資産や所得の格差をもたらします。これが大多数の恵まれない人々に強い怨嗟の念を引き起こすのは想像に難くありません。国民からの体制批判を言論統制で無理矢理押さえつけるようとするでしょうが、永遠には続かないでしょう。

日本がますます経済的に(潜在的には政治的にも)中国に依存しつつある昨今の情勢のなか、中国の現体制が悪であり敵であると公言するのは勇気の要ることです。しかし、私の良心に照らして思考を何度重ねても結論は変わりません。中国の現体制は悪であり、世界に重大な災厄をもたらしつつあります。

近代的立憲政治を敵視する中国は、ナチスに比肩する奇形的で危険な政治体制を持つと言わざるを得ません。先進国の経済的貪欲が、宮崎駿作品「ナウシカ」に登場する世界を焼き尽くす巨神兵のような厄介な怪物を目覚めさせてしまいました。現体制の中国がこれ以上拡張するとそれは直ちに私たちが信奉する自由と民主主義を脅かします。

断っておきますが、私は中国大陸の政治体制を問題視しているのであって、一人一人の中国人を敵視しているのではありません。中国人にとっても、またそれ以外の人々にとっても、中国で現在のような専制的体制が維持されているのは巨大な悲劇です。世界人口の5人に1人は中国人なのですから、これは大げさでなく全人類的課題です。

私自身、中国政府の「政治より経済・こころよりモノ」という思想宣伝に大きく影響されていたようです。確かに文化大革命のような政治的動乱は極めて有害でした。しかし、モノをよりよく生かしていくにはこころが大切です。持続的な経済発展のためには抑圧的でない安定した政治的基盤が必要です。

抑圧的体制は中国に限らず、どの国においても問題です。ただ私が中国に対象を絞って論じているのは、中国は西欧的立憲政治の代替的体制の代表選手だからです。民主主義を公然と拒絶する国々は、中国の経済的成功に勇気づけられています。ですから、中国がもし民主主義的な価値観を受け入れたら、人権を制限する開発独裁体制を続けるベトナムシンガポールが現行体制を単独で続けられるとは考えにくいです。

現在の中国に対する煮え切らない先進各国の態度は、1930年代英国のナチスドイツに対する宥和政策を彷彿させます。先進各国は中国が自主的に民主主義を選択することに期待を寄せているのかもしれません。しかし、中国の支配階級(共産党)に現行の体制を変える強い動機付けはありませんから、放っておくと永遠に現体制が続くでしょう。利権構造の外に取り残された民衆による革命が起こる可能性もありますが、現在の強い締め付け体制を見るにそれもなかなか難しいかもしれません。とはいえ先進国から中国に戦争を仕掛けるわけにも行かないでしょう。難しいところです。

中国に民主主義が育つ土壌が乏しいのは確かかも知れません。ただ、中国の全体主義体制が暴走したときの全世界(日本を含む)に与える損害の大きさを考えたとき、何人も中国の政治的未来に対して無関心ではいられません。中国が欧米的リベラルな民主主義国へと軟着陸できるとよいのですが。中国の未来は、いまのところあまり明るくは見えません。