さよなら原子力発電

3月11日、私は今回の東北地方太平洋沖大地震に遭遇した。幸い私や家族に身体財産上の損害はなかった。これに被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

東北地方は深刻な津波被害に襲われた。いまも懸命の救援活動が行われている。被害の大きさからして本格的な復興作業はもう少し先になるのだろう。

現在進行形の深刻な問題としては、福島第一原子力発電所における諸事象がある。地震直後に原子炉の緊急停止に成功するも、その後の津波で受けた損害により、非常用炉心冷却装置が機能しなくなり、炉心の余熱を外部に放出することが困難になった。その後、1号機や3号機における水素爆発による建屋の損壊、2号機におけるサプレッションプールの破損、4号機による使用済み燃料が原因と見られる火災など、きわめて深刻な事態となり現在に至っている。

事態を安定化しようと現場で必死の努力を重ねる作業者・技術者の皆さんには心から敬意を表する。彼らは通常の安全基準以上の放射線を浴びながら、限られた手段を使って、状況の分析と改善に英雄的な努力を重ねている。私は心から感謝の気持ちを持つとともに、彼らの家族の立場にたって考えるとき、なんともいえないやりきれない気持ちにもなる。

ただ、これとは別の話で、私は今回の件で、日本に原子力発電は向いていないと心から感じた。この国は地震津波などの自然災害が多すぎる。「今回の地震津波を教訓に防災対策を強化すればいい」というレベルの話ではなく、設計思想的に原子力発電には無理があるように感じる。

航空機・宇宙船・高層ビル・原子力発電所などは、人間の作り出したもっとも複雑な機械たちである。航空機が落ちれば乗客数百人が亡くなるかもしれない。落ちた場所で、地上にも被害を与えるかもしれない。だがその影響は局限されている。事故現場から1km も離れればもう何の影響もない。宇宙船や高層ビルも同様である。

一方で、原子力発電所は壊れた場合の影響が他の複雑な機械に比べて大きすぎる。今回それを最悪の形で世界中の目に晒してしまった。核分裂が生み出した放射性物質がばらまかれ周辺の多くの人々の健康を脅かしたり、操業停止が電力不足をもたらし経済活動に深刻な影響を及ぼしたり等々である。原子力発電所は、多重フェールセーフ機構によりどんな場合でも絶対に事故を起こさないという前提で運用されてきた。

だが、神ならぬ人間が作る機械がたとえ1億分の1の確率だとしても、最悪の形で壊れる可能性がないはずがない。自然災害の多い日本では、事故の確率はぐんと高まる。それが機能しないとき、これほど多くの生命的財産的危険を及ぼす機械を社会は容認していいのだろうか?

人間は神ではない。人間の技術に完全はない。どんな安全対策を施した機械も壊れることがあるのだ。

今回の事象は事故処理費用という潜在的リスクを原価計算に含めれば、原子力発電はとても経済的に採算の取れるものではないことを証明してしまった。まして数百万人の人々の生命さえリスクに晒すのだ。こんなものに政治・経済・倫理的な正当性があるわけがない。

原子力発電は、日本の消費電力の3割を作り出しているという。それでも私は原発は今後段階的に廃止していくべきだと思う。これは電力料金を引き上げれば思っているより簡単に実現できるのではないか。さまざまな代替エネルギーが採算ラインに乗り供給が増えるからだ。

たとえば、電力料金が高くなれば、家庭用太陽光発電も採算に乗りやすくなるだろう。これと家庭用蓄電池とスマートグリッド(知的な電力網)を組み合わせれば、家庭用電力の大部分を家庭で生産・消費することが可能になるかもしれない。分散型電源は災害にも強い。

さよなら原子力発電。日本における原子力発電の歴史的役割は終わった。