大企業で働くという夢

私の滞在しているホテルは、ミニ・ホテルと呼ばれるジャンルのホテルで、家族経営の小さなホテルだ。受付嬢は、ハキハキとした気持ちのよい女の子で、長期滞在している私にあれこれ声を掛けてくれる。ときどき世間話をするようになった。

受付嬢にある質問をしてみた。
このホテルは小さな会社だけど、小さい会社で働くのが好きなの?それとも、大きい会社で働くのが好きなの?
受付嬢は、少し意外なことに、大きい会社で働きたいと答えた。なぜかといえば、大きい会社のほうがチャンスが多くあるからだ、という。
受付嬢は、このホテルのオーナーの娘というわけではないようだ。学校を卒業して、最初の職場がこのホテルだという。
「昔、大きい会社で働いていたよ。5千人も社員がいたんだ」と私は大学を卒業して最初に勤めた銀行のことを思い浮かべながら、言った。
「5千人?」受付嬢は目を丸くした。
「実をいうと、日本じゃ5千人の会社はそれほど大きくはないんだ。一番大きい会社は、10万人も社員がいるからね」と私は言った。

私は複雑な気持ちになった。

このホテルの従業員たちは、いつも和気あいあいと仕事をしている。家族というわけではないのだろうが、まるで家族のように見える。のんびり、マイペースで仕事をしている。マイペースといえば、聞こえはいいが、要は万事がいい加減なのだ。ホテルのシャワーは、一部壊れているし、客室でインターネット接続ができなくても、平気で数日放置する。服を洗濯に出しても、約束と違って戻ってくるのに何日も掛かるし、部屋の清掃係はときどき、新しいタオルを置くのを忘れて行ってしまう。そのかわり、愛想だけは実によい。ひまがあればいくらでも世間話に付き合ってくれるし、ベトナム語さえ丁寧に教えてくれる。夜になれば、受付で従業員総出でテレビを食い入るように見ているし、携帯電話で友達と長電話をしているときもある。

このホテルの従業員にとっては、楽しい職場なのではないだろうか。毎日が同じことの繰り返しで、新しいことに挑戦するチャンスはないにしろ。

日本のホテルはまるで違う。大資本によって経営され、従業員の教育は行き届いており、ホテルのサービスは均質的で抜かりがない。部屋はいつもピカピカで、すべてのサービスは時間通りに届けられる。そのかわり、従業員の所作は完全にマニュアル化され、まるでロボットのようである。客と身の上話をするなどとんでもない。従業員は、いつも緊張しストレスにさらされているだろう。

受付嬢は、大企業で働くことで失うものがあることに気づいていない。

だが、それは仕方のないことなのだ。ベトナムには、大企業がほとんどないのだ。受付嬢は、ごく平均的なベトナム的世界にいる。大企業への漠然とした憧れはあっても、それが実際にはどういう世界なのか、受付嬢に詳細に想像することはできないだろう。

私は、経済が大企業中心に運営され、飲食店やホテルの多くが大企業のチェーン店になってしまう日本で生まれ育った。そんな私が、大企業へどんな感慨を持っているかも、受付嬢にはおそらく理解できないだろう。

受付嬢の屈託のない笑顔を見るとき、日本とベトナム、本当はどちらが幸せなのかわからなくなる。

ベトナム教師の日

11月20日は、ベトナム教師の日(Ngay Nha Giao Viet Nam) である。生徒・学生が、日ごろの恩顧を感謝して、教員に花を贈ったり、演芸を披露したりする。私も、ホーチミン人文社会科学大学を訪れて、日頃お世話になっているチュック先生に花を贈った。朝、指定の教室に到着すると、学生たちが教室の前方に作られた仮設ステージで曲を演奏している。学生たちのほとんどは若い韓国人学生たち。この大学のベトナム語学科では、とにかく韓国人の存在感が大きい。学生の感謝の挨拶、教員の返答、教員たちの歌の披露など、終始和やかな雰囲気だった。

学生・卒業生は、この日、教師の家を訪ねて、贈り物をしたり、おしゃべりをするのだという。教師にとっては、日頃の苦労が癒される日なのかもしれない。

7年前の冬にキューバを訪れたときも、ちょうど教師の日に遭遇した。中国でも、教師の日はあると聞いている。一方で、日本に教師の日という特別な日があったかどうか思い出せない。社会主義国特有の習慣なのだろうか?教師に感謝して、教師と学生で共同して催し物をするというのは、とてもよい習慣だと思うのだが。