google が教えてくれたもの


google 型広告の本質


google は考えれば考えるほど空恐ろしい連中である。彼らは、単に技術的・商業的に大成功したから、すごいのではない。新しい時代の経済とはどういうものなのか、身をもって教えてくれたから多くの識者がその成功に戦慄に似た驚きを抱いているのだ。


google が現れる前、Web は玉石混交のカオスそのものであると言ってよかった。Altavista のようなサーチエンジンは、スパムサイトの SEO 攻撃に耐え切れず、意味のある検索結果を表示できず無力化していた。90年代後半のウェブの世界は、「確かに無数のウェブサイトはあるけれど、どこに行ったら自分の興味に合うサイトを見つけられるかわからない」という状態だった。


そんな混沌に満ちた世界を永遠に変えてしまったのは、google だった。私が始めて google を知ったのは、1999年だったが、本格的に使い始めるのは、2001年になってからだ。上司がしつこく勧めるので、しぶしぶ使い始めたのだが、まもなく google が既存のサーチエンジンと違って、キーワードに対してはるかに的確なウェブサイトを表示してくれることに気づき、すっかり google の虜になってしまった。私の職場には、あまり技術的知識のある人間がいなかったので、私は google を「師」としてありとあらゆる技術知識にアクセスした。そして、それは驚くほど簡単なことだったのだ。(私はいまでも、ときおり google 様とお呼びしている)


google は「世界のすべての情報を組織化し、それをユーザーが簡便に使えるようにする」ことを目指しているという。そのことの本質を深く掘り下げて考えると、現在 google がほぼ広告収入だけで利益を稼ぎだしているというのは、きわめて自然なことなのだ。(しかし、それにしても google は愉快な会社である!いままで広告収入だけで飯を食っていたコンピュータ企業があっただろうか?広告代理店だってもう少し広告以外の収入があるにちがいない)そのことを以下で説明したい。


広告とは、本来、商品を購入する可能性のある客(見込み客)に対して、商品に関する情報提供やイメージ向上を図るものである。それは、広告主から発せられ、見込み客へ到達するメッセージ=情報である。ところが、人々の広告に対するイメージは必ずしもよくない。それは、いままでの広告は、基本的にマス広告であり、極めて多くの人たちに無差別に送りつけられた結果、大多数の人々にとってそれは単に迷惑なノイズでしかなかった。ここで起きていることは、広告主のメッセージ=情報が効率よく見込み客に届けられていない、という状態である。


その状況に対する google の回答は、検索連動広告(検索キーワードに関連する広告を表示)を導入することであった。あるキーワードを入力したとき、それに何らかの関連のあるウェブページを見せれば、ユーザーは興味を示す確率が高いといえるだろう。上の段落の文脈で言えば、見込み客の濃度の高い集団に対してメッセージ=情報が届けられており、広告主にとっては効率的な状況である。


同時にユーザの立場からみれば、自分の興味に近いメッセージ=情報を広告主から受け取ることができるというのは、検索結果+アルファの付加的な情報であるといえる。つまり、google は広告代理店として、お金を広告主から受け取りながら、それに加えて ユーザに「広告」という名の付加的な情報を提供している。まさしく「世界のすべての情報を組織化し、それをユーザーが簡便に使えるようにする」という彼らのミッション通りではないか!


■ 新しい可能性の扉を開く


そして、この google の大成功が哲学的なインパクトを持つ至るのは、まさしくここに21世紀の経済の付加価値の源泉を見るからである。google の検索サイトを見よ。google デスクトップを見よ。gmail を見よ。これらの google のサービスに通底するメッセージは「とにかく情報がたくさんあるんだ。もうフォルダに入れて整理なんかできない。でもそれでいいんだ。必要な情報を取り出して提案するのはコンピュータの仕事なんだよ」ということだ。これって、どこかで聞き覚えのあるフレーズじゃないだろうか?


今日、われわれを取り囲んでいる世界は、刻一刻、複雑化しサービスは多様化し情報は爆発的に増加している。いいものはこの世界のどこかにある。自分にぴったり合うものもこの世界のどこかにある。重要なのは、ますます多様な選択肢を提供することにあるのではなく(そんなことは自分がやらなくても誰かがやる)「どの選択肢があなたにマッチする可能性が高いのか」か提案してあげることだ。それを、より高い精度でより低コストに行う企業が市場を制する。そうした企業の典型が google なのだ。


last.fm のように「この曲を聴いているひとはあの曲も聴いています」の原理で次々とラジオのように曲を流し、リスナーにマッチする可能性のある曲を提案するサービスも、本質的には圧倒的大量の選択肢の中から少数を選び出してくれる知的なフィルターである。google がサイト間のリンク関係からページランクを生み出したように、last.fm はクリティカルマスのプレイリストから、特定リスナーに対する推奨プレイリストを作り出す。類似のサービスはいたる場所で現れるに違いない。そして、そのとき、あらゆる人々があらゆる事物に対して、望むものを瞬時に発見できるようになる。それは、人類の知的能力の解放であり、まばゆいほどの新しい可能性へ扉を開くだろう。


たぶん、私たちは、ガス灯や電気灯が発明される直前に、そんなまばゆいものがこの世界に存在するとは知らないままろうそくの火をかざして生活していた19世紀の人々のようなものなのかもしれない。そして、そのうち回顧するようになるのかもしれない。「あんな暗い場所でよく生活していたよね」と。