不安のマネジメント

エスキューブドの幹部で高校時代の友人である和田晃一氏と昼間、延々としゃべった。彼は、たいへんな読書家で知識豊富な人物である。話題は多岐にわたったが、いちばん印象に残ったのは「不安のマネジメント」という話であった。

和田氏曰く「俺は人の不安を食べるのが仕事なんだ」と。実は、彼がそういうのは今に始まったことではない。1年前に再会したときから、繰り返し言っていることなのだが、いままで意味をきちんと理解できなかった。彼はまたこうも言った。「人の不安を食べられる人間だけが経営者になったらよい」と。

和田氏のライフワークは、「不安を吸収することで、働く人の能力を解放する組織作り」である。彼は、不安を解消することが、個人の能力の解放につながると信じている。

私は、外国人の友人と話すとき、互いが属する文化の違いについて話すのが楽しい。しかし、同じ日本人の同僚と、仕事上の意見が合わないとき、その違いに怒りを覚えたりする。この違いは何か?それは、文化論に花を咲かせるときには不安がなく、仕事の話をするときは「仕事に失敗するのではないか」という不安があるからだろう。

和田氏は、こうもいう。「自分の意見を主張するとき、怒りを前面に押し出さないほうがよい。なぜならば、怒っているひとには共感しにくいからだ」その話を聞いて、先日、やや過激なエントリを書いたことを恥ずかしく思った。私は、IT ゼネコンを頂点とする日本のソフトウェア業界の多重下請構造が生産性を損なっている現実に対して怒りを感じており、一向に改革が進まない現状に一石を投じたつもりだった。しかし、ああいう書き方では、変革のための力を集結させることはむずかしいだろう。「これはイヤだ!これは間違っている!」と金切り声を上げるより、「これは楽しいよ!これはもっと儲かるよ!」という書き方をしたほうが、読む人の心を軽く楽しくする。そもそも、多重下請構造で、人月ビジネスを推進している人々も、要するに儲けたいだけなのであり、その経済合理性の結果そういう行動をとっているにすぎないのだ。だったら、エンジニアもハッピーで、かつ、人月ビジネスをやっている人たちにも、「こっちのほうがもっと儲かるよ!」という道を指し示してあげることができれば、もっとよいのではないか?はじめから目の敵にする必要はないのかもしれない。

エンジニアがハッピーになれて、かつ、もっと儲けることができる方法。それはきっとあるはずに違いない。