Second Life に通勤する?

Second Life への懐疑論

すっかりマイブームの Second Life。早く本格的に自分でもやってみたいのだが、私の持っているノートパソコンのグラフィックカードの性能が足りないため、新しくデスクトップを購入した関係で、まだできていない。準備が整い次第、ゴリゴリいじってみるつもりだ。

さて、Second Life に関してはネット界でもいろんな声が聞こえる。電通のような大手企業が営業に走る一方で、懐疑的な声も聞こえる。

現在、"Second Life" を Google で検索すると上から3番目に表示される Second Life“不”人気、7つの理由が典型的な記事である。セカンドライフのブームは仮想か、現実かはもう少し慎重で、

この原稿を書きながら、数年後の自分を想像してみる。もしかすると、これから私が書こうとしていることは、数年後、時代の先を読めなかった男の駄文として笑いのネタにされているかもしれない。

と予防線を張りながら、

ソフトウエアをダウンロードし、コミュニティーに接続し、ネット上に現れた、自分の分身を後からカメラで追いかけるような要領で歩き回る、あるいは、空中遊泳する。ところどころ、見かけた人達に英語で話しかけてみた。違う言葉で返事をしてくる人もいた。15分ほど、この新しい世界で遊んで、ログオフした。一言で言えば、つまらなかったからだ。それ以来、数カ月間このサイトにはアクセスしなかったが、つい先日、日本での盛り上がりを受けて食指が動き、久しぶりに同サイトにアクセスしてみた。ソフトウエアがバージョンアップされていたので、何か新しいことが起きるかと期待に胸を膨らませたが、結果は同じだった。バーチャルワールドを探検することもほとんどなく、そのときは7分ほどでログオフした。

と述べている。

インターネットの3次元化

これから先は現在の状況に対する私の印象である。おそらく電通やそれに動かされる大企業は別に Second Life の本質について深く考えてはいないだろう。3D という訴求力の高いメディアが話題になっているから、それに便乗して費用対効果の高い広告・プロモーションを行おうとしているだけだろう。ちょうどウェブが普及し始めた 1995 年頃、大企業がこぞって雑誌広告をそのまま HTML に落とし込んだような内容のないウェブサイトをたくさん作ったのに似ている。(まあ、実際 Second Life のなかでの大企業の広告を見たわけではないので、私は間違っているかもしれない)

次に、ネットのヘビーユーザーの中に聞こえる上のような懐疑論はまったく自然なものだ。確かに一つ一つ的を得ている。Second Life という固有名詞に私はあまり興味がない。Second Life がはっきり指し示したインターネットの進化の方向性に深い興味を抱いているのだ。つまりインターネットの「3次元化」である。

インターネットは、創生期の1次元、ウェブ時代の2次元、そして Second Life 時代の3次元と、次元数が次第に増える方向に進化してきた。

インターネットは、「1969年、冷戦時代のアメリカ合衆国で、国防用コンピュータネットワーク構築を主目的に、前身の「アーパネット」("ARPANET")が開発された」のが始まりである。1980年代には大学の大型コンピュータが相互接続されるようになり、徐々に広がりを見せるようになった。インターネット初期の主なアプリケーションは、電子メール、FTP そしてニュースグループだった。ネットワークの帯域とコンピュータ端末の性能の両方の問題から、アプリケーションは主にテキストベースだった。つまり1次元のインターネット世界である。

1991年ティム・バーナーズ=リーによる HTTP / URI / HTML の開発、1993年のマーク・アンドリーセンによる NCSA Mosaic ウェブブラウザーの開発により、ウェブの時代に突入する。Mosaic の革新性はテキストと画像を混在させ、美しくレイアウトできるだった。これが2次元のインターネット世界である。

そして、2003年、インターネットに3次元空間を提供する Second Life が現れる。 Second Life はサービス開始後 3 年間で徐々にユーザーを増やすが、2006 年に住民登録条件を緩めることきっかけに大ブレーク。今に至るわけである。

次元数が増えるのどんな利点があるだろうか考えてみたい。目的が純粋な情報交換であるならば、1次元の情報で十分である。2次元以上の情報が必要なのは、人間の感覚に訴えかける必要があるときだけだ。2次元画像はさまざまな感覚を刺激する。しかし、リアルの人間が3次元世界に生きている以上、3次元画像(の特に動画)がより多くの感覚情報をもたらすのは確かだ。

なぜ私たちはこの21世紀に通勤なんてしているのだろう?で、私はいまだに人々が物理的に一ヶ所に集まって仕事をしている主な原因は、現在のインターネットは感覚的=非言語的な情報をうまく伝えることができないからだと述べた。非言語的情報の伝達には1次元より2次元、2次元より3次元が有利である。それが私が3次元インターネット空間に期待を寄せる理由である。

Second Life に通勤する?

Second Life の本質は3次元のチャット空間である。アバターの背後には必ず生身の人間がいる(今のところは・・・そのうちロボットが登場するかもしれないが)これは SNS のような非同期のコミュニケーションではなく、きわめて同期的なコミュニケーションである。

われわれが日常でもっとも長い時間を費やす同期的なコミュニケーションとは何だろうか?それは、職場におけるコミュニケーションである。職場では、意識合わせのための会議が頻繁に行われる。会議がなくても、隣の席に座っている同僚に質問することはごく普通の風景だろう。密度の濃い同期的コミュニケーションを大量に行う必要があるために、経営者は関連する従業員を一室に集めるのだ。

つまり、Second Life は職場にするのが一番素直な使い方ということだ。Second Life にバーチャルオフィスを立て、そこにアバターに身を託した従業員が「通勤」してくる。オフィスの片隅には「タイムカード」が置かれているかもしれない。会議のときは、バーチャルオフィスの会議室にアバターたちが実際に歩いていき、会議を行う。そこにはプロジェクターも用意されているし、さまざまな仕掛けで情報を共有する。手元にあるリアルな紙をスキャンして Second Life の会議室に送る仕組みも整えられることだろう。

誤解されると困るのだが、私は別に引きこもりではないし、リアルな交流は大好きだ。ただ問題は、それが非常に高価であるということだ。物理的移動には多大なエネルギーと時間が必要だ。この制約によって20世紀は大都市の時代になった。インターネットが発達した現在でも、ビジネスの多くは通勤可能な狭い範囲(たとえば関東)の住人の協同作業によって実行されている。この制約が取り払われないと産業革命に匹敵する、世界経済の大きな飛躍はないのではないか?