さようなら W-Zero3、 こんにちは iPhone

私はウィルコムユーザーなのだが、今日 W-Zero 3 [es] を解約して、以前使っていた京ぽんに戻した。W-Zero 3 の液晶画面を破損してしまい、タップできなくなったというのが直接の理由であるのだが、それ以前に、メールや電話という PHS としての基本機能が使いづらいことに不満を抱えていた。ハードウェアは悪くない。だが、ただでさえダサい Windows Mobile 5 の上で走る Sharp 謹製メールソフトの豪快なダメっぷり。特に iPhone のあの素敵な UI を見てしまった後には、むしろ嫌悪の対象になりさがった。

そんな私に宛てて書いてくれたような id:essa さんのエントリが RSS リーダーに飛び込んできた。essa さんも es 使いだったのか。

つまり、「ユーザ体験」とか「おもてなし」のような要素は、カタログや(提灯記事ばかりの)雑誌記事の上では、差別化要因にならなかった。だから、営業から開発チームへのフィードバックがよく通っている模範的な企業においては、なるべく端折って、そこで浮かせたコストを○×表に投入すること、あまり実際の使い勝手につながらない所でも、他社製品との表面的な機能比較で負けないようにすることが正解だったのだ。

その競争のルールをジョブズが根本から変えてしまったのではないだろうか。

iPhone が革命的なのは、要素技術が優れているからではない。それらの要素技術を人間から見た使いやすさ - おもてなし - という視点から、情け容赦なく再構成したからだ。(余談になるが、Ruby の革新性もよく似ている。Ruby は言語を使う人=プログラマから見た使いやすさに最適化されているのだ)

私は電子製品に関して数値的なものをほとんど求めなくなっている。デジカメの画素が何百万ピクセルだろうが、PC のハードディスク容量が何百ギガバイトだろうが、私はまったく関心がない。私にとって関心があるのは、道具が使っていて気持ちがいいか、自分のライフスタイルにフィットするか、他者とのコミュニケーションの役に立つかどうかということだけだ。

電子製品の機能が飽和するにつれて、私のような感じ方をする人は増えてきているのではないか。それなのに、いまだに「何百万画素新型カメラ搭載!」などというような(日本の家電メーカーの)広告を目にする。これから消費者向けの電子製品を作る人は、消費者が本当に望んでいるものは何なのか胸に手を当ててもう一度考えて欲しい。

デジタル家電の自滅は、「おもてなし」を軽んじた日本の家電メーカーがたどりつつある末路を描いている。

「おもてなし」の心がある電子製品を作るためには、作る側の人間に想像力と遊び心が欠かせないだろう。少し話が跳躍するが、そのためには開発者にはそれ相応の待遇が必要になってくるのではないか?養鶏場のブロイラーのように空気の悪い一室に開発者を詰めこんで卵でも産ませるかのように開発をさせたりセンスと実力を兼ね備えた若いマーケターに権限を委譲できない今の日本の家電メーカーのやり方でうまくいきそうもないのは、気のせいだろうか?