で、私はどう生きるべきか?

昨日は「日本の未来」というタイトルで、日本の現状がいかに絶望的かツラツラと書いた。ある人にご指摘いただいたが、別に僕だって絶望して嘆き悲しみ続けるのが目的じゃない。「源氏物語」に登場する薄幸の美少女というわけじゃなし。

結局のところ、いまの日本人の不幸は、「変化=悪」と考えている人が多いことにあるんだろうな。それが巨大な惰性となり、日本の内外で激変する技術的・経済的状況に適応することを難しくしている。日本全体に回顧主義が蔓延している。「ものづくり日本」とかさ。おいおい今は1950年代かよ。回顧ばかりしているのは老人の特徴だよな。

実際には、物事は移り変わっていくし、それは誰にとっても避けようがない。「ゆく川の水絶えずして、しかももとの水にあらず」ていう言葉の通りだよな。いまの日本を取り巻く現状も同じ。変化が避けられないなら、それを楽しむ工夫をするしかないんじゃないのかな?

ぶっちゃけていえば、日本は十分豊かになった、この上、変化するとしたら貧しくなる方向の変化に違いない、とみんな思い込んでるんだろうね。そうじゃない。歴史はまだまだ始まったばかりだ。変化を楽しみ、変化とともに生き、ますます物質的・精神的に豊かに楽しく健康的に生きる道があるんだ、と日本人全体が信じることができれば、日本は立ち直るよ。歴史家に指摘してもらわなくても、日本文化にはすばらしいものがあるし、日本人は優秀でつねに創意工夫で難局を乗り切ってきたんだもの。

あ、誤解してほしくないのは、私はべつに尊王攘夷の右翼ってわけじゃないよ。むしろ世界中の民族が入り混じって平和共存できたら最高だな、と思うコスモポリタニズムタイプの人間だ。(かつて住んだカナダのトロントという街は世界でいちばんその理想に近い街だったと思う)世界の一角の日本という地域をよくすることは、世界そのものをよくすることでもあると思っているだけだ。たまたま日本に生まれた日本人であるから、そのことに多少の責任を感じているのだ。自分の家の前の道路を掃き掃除するじゃん。そんな感じかな。

OK 日本にはよくなってもらおう。そのために私に何ができるだろう?ここから先は難問だよな。大衆運動?うーん、まだ日本人の危機感が十分じゃないから、時期ではないかも。自分が大きな企業を作って、それをテコに世論や政治を動かす?ホリエモンの戦略かな?でもなんか自分にそれが合っているかどうかよくわからない。

とりあえずブログを書きながら考えますわ。ではまた。