日本の経済の現状に対する個人的な認識(その3)

日本の経済の現状に対する個人的な認識
日本の経済の現状に対する個人的な認識(その2)

の続編。

私の危機意識は、

(1) 日本の製造業の先行きの暗さ

(2) 新しい産業が生まれないこと

(3) 地方の先行きの暗さ

から発生しているようだ。各々について述べよう。

今日は(3)について。

私は、茨城県の郡部で生まれた。最寄の駅まで10キロ、車で20分かかるというすがすがしいまでの田舎っぷりだ。私の父の実家は福島県いわき市にあり、私が子供のころは盆や正月のころ、家族総出で車に乗り込み、父方の祖父母に挨拶に出かけたものだ。私にとってこれが「地方」というものへの認識の原点であり、いまだに私の考え方の骨格を成している。

もちろん、日本といっても地域によってさまざまだろう。私の家系は先祖をたどれば、普通に内陸で米作していた農民たちだったようだが、漁師の家系ではまた文化が違うかもしれない。そういうバイアスがあるだろうことを覚悟した上で以下の文章を書いてみる。

江戸時代、日本は300あまりの藩という小公国の連合体だった。参勤交代などへの莫大な出費により、どの藩も経営がたいへん苦しかった。米が経済の中心だったものの、領土が増えない中で、大きく増産することは難しい。そのためどの藩でも多かれ少なかれ、商品作物や工芸品等の特産品の生産を奨励し、その売り上げの一部を税収にしようと試みた。いまでいうところの産業政策であろう。それに成功した長州藩薩摩藩は、やがて江戸幕府を倒す原動力になっていくわけだが、それはさておき。当時の日本は、江戸は世界でも指折りの大都会である一方で、地方も各地とも特色があり、優秀な人物がいて、優れた商品がつくられて、活気があったらしい。

この様相が変わっていくのは、約130年前、明治政府の中央集権的な政策が始まってからだろう。廃藩置県によって封建制度は完全に崩壊し、藩民は国家から直接統治される国民となった。各地方は、中央政府から任命された知事によって統治されるようになった。方言の使用は禁止されて、思想的にも文化的にも抽象的で画一的な「日本人」というものになることを求められた。これは、工業を急速に発達させて軍備を強化して、欧米の列強に対抗しようという国家目標のためには、合理的な措置であったといっていいだろう。とはいっても、各地方はそれぞれ長い歴史をもっており、地方の特色が急に失われたわけでもないし、方言が急になくなってしまうこともなかった。

第2次世界大戦後しばらくするまで、地方はいまだ多様で元気でいたようだ。そのもっとも大きな原因は、各地方に自立的な産業があったからだろう。米の産地はもちろんのこと、炭鉱の町、造船の町、生糸の産地、絹織物の産地、等々である。東京や大阪といった大都市は、こうした地方で生産された商品に依存していた。そのために、大都市と地方の関係は、ある意味対等であった。

ところが高度成長期以降、製造業を中心とする輸出産業が力を伸ばして、円の為替レートを押し上げていった。地方の産品は輸入品との激しい競争に破れ、地方の産業は徐々に力を失っていった。働く立場からしても、大都会のオフィスや工業地帯で働いたほうが待遇がよかったため、若い人たちが地方を去っていった。こうして、地方の衰退が始まった。

高度成長期以降の道路建設等の公共事業は、始まった当初は、地方の工業化のため貢献した。公害問題や土地のコストの問題から大都市部の工場は徐々に地方に移転していき、地方の衰退を食い止めるかのように見えた。しかし、大幅な円高の進行により、人件費の面で、地方は、賃金の安い国々(東南アジア・中国)との競争に敗れ始めた。大都市の企業は、やがて地方ではなく、外国へ工場を移し始めたのだ。

現在も、地方は、諸外国との厳しい競争にさらされており、なかなか競争力のある商品を持ちにくい状況にある。その中で、公共事業が経済を支える一番大きな力となっている地方も多い。

公共事業からは安定した収入が見込める。その一方で公共事業は、実際の費用対効果に基づいて決定されるより、政治的な配慮の中で決定されることも多い。こうなると、地方の潜在成長率を押し上げるために公共事業をするというより、単に体裁よい雇用対策、極論してしまえば一種の失業手当のようなものに変質していることも多いのではないか。国のカネを使って、ある地方の公共事業をするならば、その公共事業によって地方がより経済的基礎体力(より有利な条件で工場を誘致できる等)が上がることを立証すべきだろうが、そういう議論があまり聞かれないような印象がある。

もし公共事業が、地方の経済的基礎体力を押し上げないならば、基本的にはそれは無駄な投資であり、なによりそこで働いている地方の人たちの人的資源の浪費は悲しむべきことである。また公共事業の社会主義的体質(仕事に創意工夫をしようがしまいが同じ収入が入る)は、人々を怠惰にし、リスクをとって何か新しいことに挑戦する気概を失わせる。すると沈滞した雰囲気が地方に漂い、意欲のある人たちが都会に逃げ出すという悪循環に陥りやすい。公共事業の難点の最たる点はここにあるのかもしれない。

理想的なのは、各地方が国際競争力のある産業を持つことだ。しかし、言うは易し、行なうは難しである。単純な一次産品や工業製品の生産だけでは、人件費の安い国々には太刀打ちできないだろう。より大きな付加価値をもつ生産を行わなければならない。インターネットを通じて、都会の人々や外国に高品質の農産物を売るとか、外国から観光客を誘致するとか。私の頭でいま思いつくのはその程度である。昔から住んでいる土地に愛着があるのは理解できるが、どうしても飯が食えないのならば、それを放棄する勇気も持つべきではないだろうか?昔から人々は、満足に食べることができる土地を目指して移動してきた。もし、ある土地が経済的に不毛ならば、それを政治力によって永らえさせることは、結局どこかで行き詰まるはずだ。

私が、大きな不安を持つのは、政治力で不自然にある地域の経済を維持しようという勢力がまだまだ大きいように思えるからだ。地方の人々が腹をくくって「政治の甘い蜜には頼らない。自分たちは自分たちの足で立って、自立する」と覚悟を決めてくれれば私はどれほど安堵するかしれないのだが。それは厳しい道ではあろうが、優秀な日本人が本気になって問題に取り組めば、乗り越えられないことはないと信じている。