自分にできること

自分の身の回りのことでさえ厳密に考えるとよく分からないことが多い。日本についていろいろ考えてきたし自分なりの見解もあるけれども、ブログ界全体を見渡すと多様な意見があり、結局、視点や立場の違いが見解の違いを生んでいるだけのように感じるときもある。

一つだけ確実なことは自分自身の行動だけは、自分で決められる可能性が高いということだ。(「可能性が高い」という煮え切らない言い方なのは、たとえ自分のことでも、病気をしたり、恐怖心にとらわれたりして、結局何もできないということもありうるからだ)

平凡な結論だが、与えられた環境で精一杯自分の信じる道を行くしかないのではないか。

いろいろ考えてきたが、今後20年間、日本経済が緩やかに衰退していく可能性が高いように私には思われる。これは、時代の趨勢であり、残念ながら誰の力によっても如何ともしがたい。一日本人としては、悲痛な状況である。だが、もしそれが不可避ならば、それを前提にして、自分の価値観のなかで、最善と信じる行動を選びとっていくしかない。そうやって突き放して考えれば、この日本経済全体の衰退という事実を逆手にとって、そこから利益を得ることも可能なはずだ。(マイナスサム・ゲームであっても、一部のプレーヤーがより多くの分け前を得ることは可能である)これは一見、「売国奴」的で非倫理的行動に見えるかもしれない。

しかし、私はそうは思わない。長い歴史のなかで、また日本という国が浮かび上がる日も来るだろう。過去 200 年の政治的経済的混乱を乗り越えて、いま中国が再び勃興しつつあるように。イメージにあるのは、たとえば香港である。1949年の北京の共産主義政権の成立を嫌って、中国本土の資本家たちが、資本ともに香港に逃げ込んだ。それが、第2次世界大戦後の香港の発展の基盤となった。資本家たちの香港への逃亡は、彼らの純粋な利己心から出ており、かれらを「売国奴」と呼ぶ人たちもいただだろう。だが、北京政府のトウ小平が、1980年に初めての経済特区を置いたのは、香港に隣接する深センだった。香港からの投資により、深センは急速な発展を遂げ、それが後の中国経済の大躍進のきっかけとなった。

資本家たちが中国本土に踏みとどまっていたら、中国の資本主義の伝統は完全に途絶えていたかもしれない。そうすれば、中国経済の再建はもっと難しかったにちがいない。(まあ、実際には、中国は世界中にちらばった華僑やら、台湾やらいろいろ事情が複雑なので一概にはいえないが)

もし、日本本土の経済が沈んでいくにしても、その内外に、さらに次の世代に日本が復活する種が残っていれば、いまはそれでよしとするべきなのかもしれない。私は、そんな種(あるいは種の種)になりたいと考えている。そのためには、とりあえず自分自身が稼ぐしかないのだ。