言語の政治性

異なる母国語を持つ者同士が、どの言語を用いて意思疎通を図るか。この決定には、つねに微妙な政治的問題が入り込んでいる。2人の人間がある言語で意思疎通を図ろうとするとき、その言語により習熟したほうが、優位な立場に立ちやすい。まして、その言語が一方にとっては母国語で、他方にとっては母国語でない場合、そこには決定的な力関係が生まれる。

普通の人間にとって、学習臨界期と呼ばれる一定の年齢(10歳くらい)を超えると、ある言語を完全に習得するのはほとんど不可能になる。ある言語を第2言語として、臨界期を過ぎて、学ぶ者たちにとって、ネイティブスピーカー(母国語話者)の言語スキルレベルは、決して超えることのできない壁である。

ベトナム人の友人、タムさんはこういった。「私が昔、働いていた日本企業では、日本人の部長がいましたが、ベトナム語は全然できませんでした。それでも、通訳がいたので、まったく問題なく仕事をしていましたよ」と。

まったくそのとおりなのだ。実は、ベトナムでビジネスをするだけなら、ベトナム語の知識は必須ではない。日本語であれ英語であれ、通訳を月数万円の費用で雇うことができるからだ。私は、ビジネスをしに来たといいつつ、実は迂遠なことをしているのは、十分自覚がある。

かつての帝国主義の時代、強国が弱国を餌食にして、植民地化を行ったとき、まず最初に何をしたか。それは、宗主国の言語を教える学校を作ることである。そこでは、現地語の使用は禁止された。大学等の高等教育は、宗主国の言語で行われ、現地人は宗主国の言語を覚えるしか、高い教育を受ける方法がなかった。これは、かつて、イギリスがインドで、フランスがベトナムで、日本が朝鮮でやったことである。

この関係は決して逆にはならなかった。宗主国の人間が苦労して、現地人の言語を覚えるなどということは、一部の物好きの学者を除けば、決して起こらなかったのである。それはなぜか。ある人が自分の母国語の使用を禁止され、他の言語の使用を強制されるとき、その言語のネイティブスピーカーは、その人に対して、絶対的な優位に立つことができるのである。植民地支配では、このメカニズムを支配のテコとして使うことが必須であったといっていい。

直接投資は、かつての植民地支配のような露骨な形ではないけれども、投資する側が、投資される側をコントロールする形を取りやすい。一言で言って、お金を持っている者は強いのである。その強い立場を強化するため、直接投資を行う側の言語で意思疎通が行われることが多い。

現地の言葉を知っていても、職場ではあえて使わないという現地法人の日本人社長さんの話を聞いたことがある。現地の言葉を話すと、それは現地人からは子供っぽく聞こえるので、権威を維持できないというのだ。

私が、ベトナム人を使う立場で、ベトナムに来ているとしたら、実はベトナム語を知っているのは、むしろビジネスの妨げになるのかもしれない。

しかし、私は、言語を学びたいという情熱を抑えきれない。

結局のところ、言語を学ぶことは、その言語に付随した固有の豊かな文化への扉を開くことである。それは万華鏡のようにめくるめく世界である。私は、新しい言語を学ぶたびに、人間が自分の取り巻く環境をいかに多様に解釈することができるのかと、その柔軟性にいつも驚かされる。言語は、ひとつの完結した世界観である。新しい言語を学ぶことは、私を精神的に豊かにしてくれる。

やれやれ。私は、結局のところ欲深いのだ。お金もほしいが、精神的な豊かさも欲しい。目標をひとつに絞り込めないこと、これが私にとって最大の弱点だが、この性格は生まれつきである。なんとか生かす方法を考えるしかなさそうだ。