社会のリファクタリング

リファクタリングとはソフトウェア開発の用語で、「同じ機能を維持しつつ、コードを短く美しく整理すること」である。社会に対しても同じことができないだろうか、と夢想することがある。

現代の企業にとって、経営戦略と IT が表裏一体の関係であるのと同様に、国家運営と IT がもっと密接に連携されれば、巨大な効果を生み出すのではないか。

日本で、中央政府地方自治体は、これまでも IT に巨額の投資を行ってきたし、維持費も莫大である。しかし、それは日本の多くの企業がそうであるように、まず既存の事務処理が前提にあって、それを逐一電子的な処理に置き換える、という作業だったのではないか。むしろ、コンピュータの特性に着目して、国の制度自体を変更するという発想がなかったのではないか。

日本が明治に近代国家として再出発して以降、さまざまな行政行為や法律行為が澱のように溜まって、きわめて非効率的な状態になっている。行政制度を整理して単純化し、それを IT 化することで、事務系公務員の数を現在の十分の一くらいに減らすことができるのではないか?

・・・ここまでは理念論だ。現実には、行政制度の整理のプロセスで既得権を失う人々が激しい抵抗を見せるだろう。既得権の損失が、公共の福祉の向上に及ばないのであれば、本来は、この行政制度の整理は断行されるべきである。しかし、「べき」だと述べるだけでは動かないのが現実だ。これを貫くには、世論による支援が必要だが、世論が痛みの伴う改革を支持するのは、国民の多くが相当切羽詰った状況に立たされたあとのことだろう。

思考実験として、政府を法律のリストラクチャリングと IT 技術を組み合わせてどれだけ効率化することができるか、具体的に考えてみると面白いかもしれない。1T(テラ = 1兆)バイトのハードディスクが1万円以下で買えるほど、チープ革命が進行した現在、有り余るほどの情報処理能力を行政の効率化に使えないのはなんとも歯がゆいのである。