父の謎

いまのベトナム社会は、40年前の日本、つまり、ちょうど昭和40年前後の日本にそっくりだ。それは、ちょうど父が若かったころに当たる。

当時、父は、若きモーレツ・サラリーマンで、昼も夜も働いていた。当然、家事や子育ては、母や同居していた祖父母に任せきりになった。母は、それに不満を抱いて、ときどき父と喧嘩をした。父は、どうやら、子育てを非常に簡単に考えていたらしい。子供なんて、ほっとけば自然に育つ。そんな風に考えていたみたいだった。そして、私には、長い間、その理由がわからなかった。

でも、ベトナムに来て、その理由がわかった。父の育った環境では、確かに子育ては簡単だったのだ。

先日、ベトナム人の友人の実家を訪ねた。その実家は、サイゴンから150キロほど離れた農村にある。友人は8人兄弟だ。いまでも、兄弟の大半は、実家のそばに住んでいる。そして、めいやおいが、15人くらいいるそうだ。この子たちが、夕方、実家の前の田舎道で、みんなで遊んでいるのを見た。こんなに数が多いと、いとこ同士というより、小学校の同級生みたいだった。

父もまた、福島県の農村に生まれた。父も兄弟が8人ほどいたらしい。こういう大家族は、昔では珍しくなかっただろう。おそらく当時は、親の兄弟(おじ・おば)はみな自分の親のようなもので、自由に訪ねては遊んでいたのではないか。こういう環境なら、子供は「自然に育つ」と考えても不思議ではない。

父は、あまり融通の効くタイプじゃなかった。農村社会から都市社会への変化に鈍感だった。その負担が、ぜんぶ母に来てしまい、母は怒っていたわけだ。

融通が効かないのは、父だけではないかもしれない。政府や大企業の偉い人たちの考え方も、そのころからあまり変わっていないのかもしれない。都市社会が、根本的に子育てに向かない社会なのに、子育てを支援する対策がほとんどなかった。政府の子育てに対する財政的支援は少なく、企業は、20代・30代の若者に長時間労働を強いる。少子化は、その当然の結果かもしれない。

日本は、いま急速に老いている。子供が少ない社会はさびしいものだ。せめて子供を持ちたいと願っている人たちが、安心して子供を育てられる社会にすることはできないだろうか。