日本政治の過渡期

ちきりんが相変わらず絶好調である。「そして“巨大な政府”へ」という最新エントリで、各政党が田舎と都市の両方の弱者たちの票を獲得しようとして、空前絶後のバラマキ政策を公約している、と指摘している。

日本の官僚機構は、いまだ強大とはいえ、その威信はすでに大きく揺らぎ、力を弱めつつある。その一方で、政治の力は次第に増大しつつある。これは民主主義に則った動きであり、本来は歓迎すべきなのだが、問題は、有権者に迎合するあまり、極端なポピュリズムに走る危険がある、ということだ。

理念のない政治家があふれる日本の政界で、官僚機構が弱体化したときに、財政規律を緩めようとするポピュリズムが発生するのは必然かもしれない。

一方、与党・人民行動党の事実上の一党独裁体制であるシンガポールでは、政治家にとって、国民の近視眼的な要求を受け入れ、甘やかす動機が存在しない。選挙で負ける心配がないからだ。そのかわり、与党はシンガポールを経済的に繁栄させる任務を着実に遂行する。その代わり、国民は多少の基本的人権の制限に甘んじるという暗黙の社会契約がある。

これは第二次世界大戦後、日本にもあった暗黙の社会契約だったのかもしれない。国民は政治を自民党に一任する。自民党は、経済政策を官僚に丸投げする。官僚は長期的視野に立って、政策を立案・遂行する。そこには実質上の民主主義はないのだが、自民党が日本を経済成長に導く限りは、国民はそれに甘んじる、という社会契約だ。

自民党がその社会契約を果たせなくなった今、日本国民は真の意味での民主主義を手に入れつつある。しかし、その過渡期はポピュリズムの甘い誘惑に満ち満ちている。その誘惑に負けた先にあるのは政府の財政破綻であり、ハイパーインフレだ。

この危険を避けるためには、民主主義を支える基盤を大きくするしかないだろう。特定の圧力団体からだけでなく、国民から広く個人献金を集める仕組みや、インターネットを活用した、より公平な民意の集計システムなど、できることはいろいろあるだろう。

しかしそうした成熟した民主主義を得るまで、日本はしばらく危険な道を歩まなければならないのかもしれない。