サイゴン帰還

昨日ベトナムサイゴンに戻ってきた。2週間ほど前に日本を出発し、中国南部・東南アジアの各都市を訪れて人々と出会う旅がとりあえず終わった。

バンコクシンガポール・クアラルンプールと駆け足で回ってきて、サイゴンに戻ってくると、さすがにここの交通インフラはしょぼいと言わざるをえない。とにかく道路の状態がよくない。道が狭い上に、そこら中で工事の通行止めがあり、どの幹線道路も文字通りバイクで溢れかえっている。よく見ると、あちらこちらで、バイク同士やバイクと車がニアミスを繰り返している。道が混みすぎてスピードは出せないので、死亡事故につながることは少ないようだが、それでも日常的に多くの市民が交通事故に遭っているだろう。

サイゴンでは地下鉄の整備計画がある。計画の実施は遅れているが、それでも2010年代のはじめには、地下鉄1号線が開通するようである。ベトナムはとにかく公共交通手段の発達が遅れていて、サイゴン市内にはバスすらろくすっぽ走っていない。(それでも、昔に比べると大幅によくなったそうだ)サイゴンが一人前の近代都市として認められるためには、この公共交通手段の改善は避けて通れない課題である。

そう思う一方で、このバイクと狭い裏路地からなる都市の構造が、なんともいえないベトナム独特の雰囲気を作り出しているのも否定できない。広い通りにピックアップトラックが走り回るタイの都市は、まるでアメリカの田舎町のようで大味だし、シンガポールやクアラルンプールは、オーストラリアの大都市をそのままコピーしてきたような街のつくりで、美しいのだが面白みには欠ける。

その点、ベトナムの大都市は、むしろ日本の大都市に似ている。共通する性質は、都市計画の弱さである。基本構造はあるものの、その後の発展がかなり乱開発的で、計画的な秩序がない。道路は狭く入り組んでいて、家は隙間なく建て込んでいる。それが逆に魔宮のような不思議な魅力を生み出しているともいえる。道路が無秩序に複雑に入り組む都市は、計画的に道路が作られた都市に比べて面積以上に大きく見えるものだ。サイゴンなんて実は面積的にはたいしたことがない。それでもやたらに大きく見えるのは、道路網が複雑で簡単に1点から1点へ移動できないからだ。東京も同じこと。もし東京23区がすべて片道3車線の碁盤目状の道路に区切られていて、渋滞なく移動することができたら、ひどくちっぽけにつまらなく感じることだろう。ときどき狂ったように東京に魅せられてしまう欧米人たちがいるが、彼らはおそらくこの永遠に続く迷路のような空間に魅力を感じているのではないだろうか。

サイゴンの道路は一歩裏道に入ると歩道がなく、家と道路が接近している。道端の野外で営業する食堂やカフェが軒を並べている。そこをバイクで人々が行き過ぎる。そういうカフェのプラスチックの椅子に腰掛けて、アイスコーヒーを飲みながら、漫然と道端の風景を眺めると、なんとも言えず味わい深い。

交通インフラの弱さは、経済的には弱点だし、生活上も不便なのだが、街に独特の雰囲気を作り出し、個性を与える。欠点は同時に魅力なのかもしれない。