自由っていいな

ベトナムは、日本人にとってなじみやすい国だと思うし、私は結構気に入っている。ただし、どうしてもなじみにくい点が一点だけある。

ベトナムには、言論の自由がない、ということだ。

この国では、共産党への批判は一切許されない。新聞・テレビは、共産党の直接支配下にある。(私的なメディアが存在しない)ベトナム人と話をすると、家の中で私的に政府への批判をしていることは多いらしいが、政治的なデモや集会はもちろんのこと、ブログで政府批判を行うことさえ、時には問題があるようだ。

私は、個人的には、共産党が嫌いなわけじゃない。むしろいままでの歴史的条件の中で、いまのベトナム政府はよくがんばっているほうだとは思う。

ベトナム戦争は約30年続いて、1975年に終結した。ベトナムにはかつて熱い政治の時代があったのである。しかし、それがもたらしたものは悲惨な破壊と殺戮だった。ベトナム人はそれにひどく懲りたのだろう。以来、普通の人たちは政治に背を向け、経済的に豊かになることを目指した。

経済の発展段階が低い状態では、政府のやるべきことははっきりしている。法制度・交通・通信・生活の社会的インフラを整備すること。その段階で、自由選挙を行って、くだらない政治的揉め事を引き起こすくらいなら、政府に権力を集中して、開発独裁的な体制を取った方がいい、という意見も十分理解できる。つまり、ああだこうだと、政治的な内輪揉めしている余裕はないだろう、というわけだ。政治にエネルギーを使うくらいなら、経済建設に集中したほうがいい、という考え。

ベトナム人は、政府が経済を豊かにする義務を果たすかぎり、自分たちの人権(政治的自由・言論の自由・信教の自由)が制限されることをある程度認めることにしたわけだ。中国やシンガポールなどと同じ種類の社会契約である。

わかる。よーくわかるんだけど・・・でもなあ・・・。

私は言論の自由の保障された日本で生まれた。日本にもタブーがあって、天皇制・在日・同和・創価学会・パチンコ業界の話は、なかなか話しづらい。ただ話しづらいといっても、あくまでも私対私の関係において話しづらいだけで、国家が直接言論を統制しているわけではない。第二次世界大戦後制定された日本国憲法のおかげで、国民に言論の自由ははっきりと存在して、日本政府はそれをいままで慎重に守ってきていると思う。それは偉い。たまにはほめてやろう。偉いよ、日本政府。

私のやっている仕事は、ソフトウェア開発だ。言論の自由なんか関係ないだろう、と思うかもしれない。

でもね。クリエイティブな思考って、何の制約もないところにしか起こりえない気がする。「共産党の政策は全面的に支持するが、その他の全てのことには批判的態度で臨み、自由に思考する」ってやっぱりありえないと思うのよね。ベトナム(中国も同様だけど)は特に社会科学の発展において大きな制約を受けていると感じざるをえない。

真にクリエイティブなウェブも、言論の自由が制約を受けた環境では生まれずらいのではないだろうか。ウェブというのは、技術であると同時にコミュニケーションのツールであり、メディアであるから。そこには、「国家から独立した思考」というのがどうしても必要になってくるような気がする。

ベトナムが十分に経済的に発展したとき、いつか完全な言論の自由が保障される日が来るだろう。その日が一日も早く訪れることを望まずにはいられない。