英語の文法は動画の画質のようなもの

「英語ブログリンク by 日本人」を作ろう!にいろいろ反応をいただけてうれしい。(でも、実は「ブログリング」のつもりだった・・・とほほ。ブログの相互リンクという意味なんで、まあ、どちらでもいいんですが) 英語でブログを書いている!これから書こうとしているから宣伝したい!という方は私までぜひご連絡を!

今日も再び、英語について書こうと思う。

文法はなぜ必要か

英語を書くためには、当然、英語に関する最低限の知識が必要だ。知識には大きく分けて2種類がある。語彙と文法である。ごく単純なことを伝えるためには、語彙だけで十分。いわゆる、「単語を並べて話している」という状態だ。しかし、「誰が何をいつしたのか」とか、やや複雑な事柄を伝えようとしたら、単語をどの順番で並べるか、単語をどうやって変形するか(複数形・過去形とか)という風な、いくつかのルールに従わなければならない。これが文法だ。

日本人は、中高の6年間の英語教育を通じて、すでに結構多くの単語を知っている。問題なのは、たぶん文法だろう。日本語と英語はあきれるほど文法が違う。日本語からの類推で英語の文を作ると、ほぼ100%間違える。これは日本人にとってはほとんど罰ゲームだ(笑)。

アメリカやイギリスのネイティブスピーカーが話している英語の文法をもって、「正しい英語文法」と考えてみよう。では、そこから離れると何が起こるか。

1 "I go to school."

これは正しい英語だ。意味は「私は学校に通う」。

2 "I go school."

これは正しくない。前置詞の "to" が抜けている。でも、たいていの英語話者は意味を正確にとらえることができる。

日本語の「私は学校に行く」の直訳である、

3 "I school to go."

はどうだろうか?ここでは、助詞「に」に前置詞 "to" を対応させている。ここまで来ると、英語話者にとってはかなり理解が苦しくなるだろう。文脈があれば、意味は推測できるだろうが、なければお手上げだ。何を言ってるのかわからん、という状態になる。

つまり、正しい文法は、意味を正確に伝えるために重要なのだ。しかし、人間はロボットではない。標準文法からの逸脱はかなりの程度、文脈によって補って、問題なく意味を理解できる。

大切なのは画質(文法)より中身じゃない?

ここまで考えて連想したのは、インターネットで見かける動画のことだ。インターネットでは帯域が限られている。帯域を節約するためには動画の画質を落とさなければならない。Youtube には、ひどい画質の動画がごろごろ存在している。ニコニコ動画のエコノミーモードもそうだ。

一方で、テレビ放送は地上波デジタル移行しつつあり、アナログ放送に比べて、画質は相当向上している。パッケージメディアの世界でも、DVD からブルーレイの時代に移行しつつある。こういう新技術を使って映し出される映像はとてもクリアで美しい。

ものまねタレントのコロッケという人がいる。この前、日本に帰ったとき、母と Youtube で彼の20年前のテレビ出演のビデオを見て、二人でゲラゲラ笑った。解像度は低く、変色し、ほとんど耐えられないほど画質は低いのだが、実におもしろいのである。その一方で、母は、いまどきの若い芸人のバラエティ番組は一切見ない。地デジテレビで、画質は Youtube の100倍くらいきれいなのに、つまらないので5分も見ていられないのだ。

ブルーレイで見ている映画は、画質は完璧だ。しかし、それがつまらない三流の映画だったらどうだろうか。Youtube の低画質で見る昔の名作映画と、どちらが楽しい時間をすごすことができるだろうか?

画質が低すぎると、さすがに物事が判別できなくなるので、そこから意味を拾うことができなくなる。画質が、かろうじて意味を伝えることができる程度までよくなると、今度は、そこに何を映しているかが、問題になってくる。そして、画質が十分によくなると、今度は画質は一部のマニアを除いてまったく問題にならなくなる。DVD とブルーレイの画質の違いは多くの人にとって騒ぎ立てるほどのものではない。

画質=文法と考えて、英語の話に置き換えてみよう。文法が標準から外れすぎると、どうにも意味を取れない。文法が、かろうじて意味を伝えることができる程度までよくなると、今度は、その文章が表現している内容が問題になってくる。そして、文法が十分によくなると、今度は文法の良し悪しは一部の完璧主義者を除いてほとんど問題にならなくなる。

文法が向上すれば、他の人にとってその文章は理解されやすくなる。Youtube の低画質より、地デジの画面のほうが見やすいのと同じだ。それを目指して、文法を磨くのは意味がないわけではない。しかし、もっと重要なのは中身じゃないだろうか?いくら文法が正しくても表現しているものが空虚なら、誰も喜ばない。だから、画質(=文法)の追求はほどほどにして、おもしろい内容を表現するようにもっと心を砕くべきじゃないだろうか。そして、実際に内容がおもしろければ、画質(=文法)があまりよくなくても、人気が出るものなのだ。ニコニコ動画の成功を見ればわかるように。