プノンペン行きのバス

BarCamp Phnom Penh に参加するため、プノンペンに行く。

サイゴンの安宿街、ファングーラオエリアからプノンペン行きのバスが出発する。バス自体はバスなのだが、早速車内ではさまざまな人間模様が・・・。バスの下に積み込まれる荷物に、中国語の走り書きが。車内に入ると中国語が耳に飛び込んでくる。車内にも所狭しと商品が詰め込まれている。どうやら中国人商人が乗っているらしい。国籍はベトナムまたはカンボジアかもしれないが。中国人がいるととたんに雰囲気が中国ぽくなる。もう少し静かにできないものか。最前列で、欧米人が添乗員と「ここに座りたい」「ダメだ」と口論をしている。このバスは指定席制なので、一応添乗員の方が話の筋は通っている。おかげでバスの出発が遅れた。所要6時間とはいうが、絶対に夕方5時半につきやしないだろう。早くて7時ということころだろう。

いつも思うのだが、このバスの添乗員、実に堂々としている。欧米人が文句を言っても1ミリも引かない。ここらへんの事情は、日本だけ違う。おそらく日本だったら、バスの添乗員はもっとへりくだった態度を取っただろう。しかし、日本以外の(ほぼ)すべての国ではそうではない。なぜ日本だけ特殊なのか。

ベトナムの田舎道を走って国境の町・モックバイへ。このバスはどうやらそのまま、国境を通過できるタイプのバスのようだ。パスポートはベトナム人のバス添乗員があらかじめ車内で回収した。そのとき、ビザ代として私は25米ドルを現金で払った。カンボジアビザはなぜかベトナム側のイミグレで渡してくれた。きわめておざなりな出国検査のあと、バスに再び乗り込んで、カンボジア側の入管へ。ふたたびバスの添乗員がやってきて、お前は日本人だからパスポートをよこせという。そこで手渡すと、しばらく帰ってこない。やや不安に駆られ始めた頃、彼はカンボジアビザのシールが張られたパスポートを持ってきてくれた。それを持ってスムーズに入国検査は通過。このバス会社と両国の入管はいったいどういう関係になるのだろう。東南アジア的な意味で「親密な」関係があるのだろう。そのおかげで、特に大きなトラブルもなく(賄賂を要求されることもなく)国境を通過できた。

カンボジア側の国境近くの通りには、近代的なカジノの建物が立ち並んでいる。ここは社会主義的な生真面目さはもはやない。自由の国、カンボジア王国へようこそ、というわけだ。

カンボジア側の国境の町で食事休憩。まだまだ先は長いのに、すでに時計の針は午後3時を指そうとしている。ベトナム風のぶっかけご飯を食べる。50000ドンを渡すと3000リアル(約75円)が帰ってきた。つまりこの飯は、35000ドンということになる。まあ、ベトナムと同じくらいの価格だ。

国境の町を越えるとひたすら緑の水田が続く。水牛がのどかに草を食んでいる。この風景はベトナムと特別に違うところはない。高床式の住居が多い。これはベトナムとは異なる。

1時間ほど緑の美しい田園地帯を走ったあと、バスは、大河のほとりで停車した。これからフェリーで川を渡るのだ。これはメコン川の支流の一本だろう。濁った水をたたえた川の水面は静かで、フェリーはほとんど揺れることがない。われわれ乗客はバスに乗ったまま、この川を渡った。フェリーというより移動式の橋、という感じだ。

再び陸地に出た後、強い雨が降り始めた。道に水があふれて川のようになる。道の両側が隙間なく家が並び始めた。と、気がつくとそこはプノンペンだった。あっけない到着。時計を見ると午後6時。水牛が進む田舎に突然都会が出現した感じである。サイゴンよりずっと小さい感じ。道にバイクがあふれるところや、建物の建築様式がベトナムによく似ている印象を受けた。もし、クメール文字の代わりに、ベトナム語で看板や標識が出ていたら、ベトナムだと思っても不思議はないだろう。やはり、仏領インドシナの一部として、ベトナムと同様にフランスの植民地支配を受けたからか。

ベトナムと違うのは、街にタクシーはほとんど見かけず、トゥクトゥク(バイクの後ろに客車を連結した形のタクシー)かバイクタクシーが旅客輸送の主役らしいこと。

ここで、id:KoshianX さんや 31o5 さん 、cas さんやその他、タイから参上した BarCamper たちと夕食を共にした。