知識経済に乗れない人たち

これはかなり微妙な問題で、私のような立場の人間がいうと地雷を踏みかねないのだが、あえて皆さんに質問したい。今日の日本(そして先進国一般)でもっとも本質的な経済問題かもしれない。

ピーター・ドラッカーアルビン・トフラーを持ち出すまでもなく、現代が知識経済の時代だということに異議を挟むひとはいないだろう。特に、インターネットが普及してからというもの、世界での情報処理のスピードが途方もなく速まり、新しい情報や知識にすばやく飛び乗れる人たちに大きな経済的機会が訪れるようになった。

先進国は、新興国の追い上げを受けて、どこも高付加価値型の経済構造への転換を急いでいる。高付加価値型、とは「アタマを使って稼ぐ」ことと言い換えても、大きな間違いはないだろう。情報技術(IT)、金融、製薬などが典型である。

しかし、皆さんが日常生活で十分観察してきたように、情報の処理能力には人によって大きな格差がある。情報の処理能力とはシンボル操作能力と言い換えてもいいのだが、シンボル操作が生まれつき得意な人間と不得意な人間がいることは、否定しがたい。

問題は、先進国の経済が、高付加価値型に転換するにつれて、シンボル操作が不得意な人たち向けの仕事が急速に失われてきているのではないか、ということだ。肉体労働的な仕事でさえも、高度な知的作業が必要になりつつある。たとえば現代の日本の工場では、労働者たちは複雑な機械の操作を記憶しなければならないだろう。コンビニの店員が POS 端末に向かって行う作業は驚くほど種類が多い。

私はベトナムに住んでいるが、ここは仕事をするのに頭を使いたくない人には天国のようなところである。複雑な思考を必要としない仕事がたくさんある。というより、ほとんどがそういう仕事だ。たとえば、ここでは、バイクの駐輪場には必ず監視員がいる。彼らの仕事は、バイクを整列し、泥棒を監視することだけだ。また駐輪場の入り口では、駐車券を発行するのだが、これにひたすらバイクのナンバーを書き込む係の人がいる。この人は一日中、虚心に数字を書き込み続けるのだ。

もちろんベトナムでも、こうした頭を使わない仕事の給料は高くないだろう。それでも、これだけ大勢いるということは、なんとか生きていける程度のカネは稼げるに違いない。仕事があれば、自尊心を持って生活することができる。家族を養うこともできるかもしれない。

いいとか悪いとかという価値判断以前に、働くとき、頭を使うより体を使いたい、というタイプの人たちは、どの社会にも一定の割合で存在する。こうした人たちにとって、日本のような先進国は住みづらく、ベトナムのような新興国は住みやすいのではないだろうか。日本で人々の間に所得格差が広がっているというけれど、ひょっとしたら原因は、知識経済に乗れない人たちがいるから、ということなのかもしれない。先進国の経済がこういう人たちとどう接したらいいのか、私には妙案が浮かばない。いいアイディアがあれば教えてください。

P.S.

ちなみに、はてなでこの文章を読んでいるような人たちは皆すでに十分知的なので「知識経済に乗れない人たち」には該当しない。はてなブックマークでクダを巻いているような人たちもね。あと、あらかじめ言っておくと私は、「知識経済に乗れない」ような人たちの知り合いがあまりいない。だから無知と偏見はあるだろうと、思う。地方の進学校から、東京の某大学に行ったからであろう。そこらへんは、地方のダークサイドを知る、わが同志 id:KoshianX 氏のほうが見識が深いと思う。