自分の頭で考え、自分で決めた生き方を貫こう
デジタル機器が飛躍的に安くなる現象、いわゆるチープ革命は、人々の知的・感性的生活に大きな恩恵をもたらした。ベトナム人の若者が先進国とまったく同じように音楽や映画を楽しめるのは、安い PC とインターネットのおかげなのだ。ベトナムの若者が携帯電話を宝物のようにいじくりまわしている姿も、日本の若者たちと何も変わらない。世界共通の風景だろう。
いまや住む場所と食べ物とデジタル機器さえ確保できれば、快適で楽しい生活が送れるのだ。この最低限の生活を手に入れるのにかかるカネはたいしたことはない。(食べ物は自炊すれば安いし、ルームシェアやゲストハウスに住むという方法もある)
言い古された言葉だが、いまや日本は十分以上に豊かになったのだ。しかし、日本人は不安に怯えている。それはどうしてか?
それは世界観がないからだ。与えられた富をどう生かしていくべきか、という真摯な問いかけをしていないからだ。
たとえば、私は、いまの日本の製造業の開発競争を限りなく下らないと思っている。デジカメの画素数が何千万画素になりました?そんなこと、もうどうでもいいじゃないか。一部のマニアを除いて誰も気にかけていないスペックを上げることや、誰も使いやしない携帯電話の新機能を開発するために、大の大人たちが数百人と動員され連日の残業に追われている。家庭に、幼い子供がいても、一緒に夕食を共にすることもできない。
私が、社畜を憎むのは、彼らが愚かだからではない・・・彼らに世界観がないからだ。会社から押し付けられた既成概念を鵜呑みにしているからだ。開発競争を繰り広げる人たちは、そもそも何のためにそんなことを始めたか忘れてしまっている。世界観がなく、何が正しくて何が間違っているか判断できないので、数値目標に頼るしかないのだ。
世界観というのは、こなれた日本語で言えば、志(こころざし)だ。「これは絶対に譲れない」という精神の核になるものだ。
会社と心中することを、本当に主体的に選び取ったならば、それもまた一つの生き方だろう。だが、多くの人たちは食い扶持を失うことを恐れて、会社に隷属しているだけだ。そうやって会社に付き従っているうちにすっかり洗脳されて、自分が奴隷であることさえ忘れてしまっている。
いまの日本人には、自分の頭で考え、自分で決めた生き方を貫く、という部分が不足している。もし、各自が自分の中で譲れない一線を持てば、顧客や上司からの理不尽な要求を敢然と拒絶することができるだろう。あるいは、会社がやっていることがおかしい、あるいは自分が成長できない、と感じれば、転職する勇気を持つことができるだろう。その結果、経済的に苦しいときがあっても、苦境を粛然と受けとめられるだろう。
自分の心の奥底に耳をすませて、本当に自分のやりたいことだけやることだ。その積み重ねが、自分の世界観を形成していく。自立した人間を作っていく。
自分の欲望をかなえていくのだから、本来的に楽しいことだ。だが、その過程で世間の常識とか周囲の目とかと戦わなければならないときもある。自分が本当にやりたいことは、ときに非常識に見えたり、周囲の人たちが喜ばないことがあるからだ。
現代はイデオロギーという「大きな物語」が崩壊した時代だ。指針になるのは自分自身の心の声だけである。その心の声は、自分がリラックスしないと聞こえないのである。もし疲れすぎていたら、まずはゆっくり休養することだ。
こうして自立した人間たちが、多数を占めるようになったとき、日本社会はより成熟し、穏やかな幸福につつまれるだろう。