日本人たちよ、日本を幸せな発展途上国に戻そう

最近のトヨタのリコールの問題、慢性的な家電メーカーの収益性の低さ、等々、日本経済のエンジンである製造業は精彩を欠いている。かつて世界の工場と言われた日本だが、その地位はいまや完全に中国に奪われてしまった。すでに日本のすべての工場が潰れるより、おそらく中国の広東省1省が地上から消滅するほうが世界経済への打撃は大きいかもしれない。(いまだって日本人が使う工業製品・雑貨はほとんどが中国製だ・・・日本製などほとんど買わなくなってしまった)

国内工場への新規投資はほぼ停止状態であり、この効果は5年後10年後に効いてくるだろう。今日、日本中で何人の若い工員たちが、明日の国内製造業を担うために訓練されているだろうか。技術の継承を前提にした正社員は大幅に減り、使い捨ての派遣・請負の工員ばかりになってしまったのではないか。この先、日本の製造業は熟練労働者が不足し、高級品の生産さえできないような状態になっていくのかもしれない。

一方で、日本が高付加価値サービス業へ進んでいける見込みもほとんどない。なぜならば、この国のメディア・出版・IT等の知的サービス業の経営者たちがどうしようもなく頑迷固陋であるからだ。アメリカで AmazonKindleAppleiPad 等を使った電子出版が始まろうとしているのに、日本の出版業界は紙の本の売れ行きへの影響を恐れて、ただ反対しているだけだという。若くて優秀な日本の IT エンジニアたちが本当に気の毒である。かれらの技術レベルはアメリカのシリコンバレーの技術者に勝るとも劣らないが、彼らを使って収益性の高いビジネスを作れる経営者が日本にいないのだから。まさに宝の持ち腐れである。

日本は製造業という主力産業を失いつつあり、それにかわる新しい産業が登場しない状態だ。

私は、次に来るべき産業は何か、ずっと考え続けていた。だが、最近ふと気がついた。

そんなものはどこにもないのかもしれない。そして、そんなものは必要もないのかもしれない。

日本というのは、世界の近代史の中で異彩を放つ特殊な国である。非欧米諸国の中では、唯一植民地化を逃れ、最初に先進国としての名乗りを上げた。はじめはロシアに戦争を仕掛けて勝ち、アメリカに全面戦争を仕掛けてさんざん悩ませ、その後は経済大国として活躍した。非欧米国としては、掛け値なしに立派なものだといっていい。

日本人はすぐ自国をアメリカと比べたがるが、これは不幸な習慣である。アメリカはきわめて特別な国だからだ。世界には約200の国・地域があるが、大半は平凡な発展途上国である。平凡な、というのは、特に世界に誇れるような産業を持っているわけではない、という意味である。たとえばベトナムの最大の輸出品目は原油だが、それでも、輸出数量は1,500万トン程度である。原油輸出量世界一のサウジアラビアが3億6,500万トンであるから、足元にも及ばない。

ベトナムは、経済的にみるとごく平凡な農業国である(コメとコーヒー豆の生産大国ではある)。だが、ここの国民はまったく不幸そうには見えない。南国の暖かい気候というせいもあろうが、基本的に衣食住は満たされているからだろう。たとえばアフリカの最貧国の最下層は、物理的に飢えている人たちも多いのだろうが、東南アジアの発展途上国では、幸いなことに物理的に摂取カロリーが足りない人たちは少数派になった*1発展途上国に生まれたから、ただちに悲惨な人生が待っている、という時代は終わった。

列強の日本侵略をはねのけ、富国強兵政策によって独立を守った、幕末や明治の日本人は偉かった。しかし、そのとき感じた精神的圧力が大きすぎたのではないか。その異常な圧力が無謀なアジア侵略と太平洋戦争へつながった。戦後は、経済発展への異常なまでの執着となり、「エコノミック・アニマル」と揶揄されるモーレツ社員たちを多く生んだ(考えてみれば、エコノミック・アニマルって文字通り社畜だね) 。江戸時代末期に詰め込まれた圧搾空気に押し出されるように駆け抜けたのが、この150年間の日本人の歴史だったのかもしれない。

いまやアジアの先進国は日本一国ではなくなった。シンガポールの一人当たり GDP は日本を上回ったし、この趨勢が続けば、2020 年までに、香港・台湾・韓国にも追い抜かれる。日本はもう孤独ではない。これからアジアに続々と先進国が誕生するのだ。「非欧米国でも豊かな国になれることを証明する」という日本の世界史上の役割は終わったのかもしれない。

ここらへんで、日本人は一休みしたらどうか。GDP が増えないと政府の累積債務がヤバイとかいろいろ問題はあるのだが、とりあえず棚に上げておこう。駄目ならデフォルトでもハイパーインフレでもいいではないか。いままで日本は優等生のいい子すぎた。たまには IMF 等の国際機関の厄介になろうではないか。「世界で一流の産業を持たなければならない」「高品質の製品を作らなければならない」という強迫観念を捨て、大きく深呼吸をしよう。日本人一人一人が自分の胸に手を当てて、自分自身が本当に幸せになることをしよう(家族をほっぽり出して、仕事中毒になるなんてもうやめようよ)。

私がこういうのはワケがある。いまさら日本は製造業ではアジア諸国に太刀打ちできない。これからは、モノによって人を幸せにするのではなく、サービスによって人を幸せすることがもっと重要になる。モノは誰でも作れるし、市場にあふれかえっているからだ。ところがこのサービスで人を幸せにする方法というのは、自分が忙しすぎて鬱になっていたりすると、いい方法が思いつかないのだ。リラックスすることではじめていいアイディアが思い浮かぶ。いまの日本人は残業の嵐で、数値目標の達成のために必死になりすぎていて、こうした新しくて面白い着想を得られる環境にいない。これでは自分で自分の首を絞めてしまう。

「働かざる者食うべからず」「苦労は買ってでもしろ」「泥のように10年働け」・・・こういう標語が有効だった時代もあった。でも時代は変わったのだ。環境が変化すれば、考え方も変えていかなければならないだろう。ニート大いに結構。転職大いに結構。とりあえず人から大きな借金でもしない限り、どんな生き方をしてもいい。不幸な先進国より幸せな発展途上国のほうがましだ。みんな肩の力を抜いて、日本をもっと幸せな国にしようじゃないか。

*1:FAO の統計では 2004-2006年にベトナムの人口の実に13%(1,120万人)が栄養不足人口に相当する。しかし、そんなに栄養不足人口がいるかなあ・・・FAO の定義では1日 1800 キロカロリーを摂取できない人たちということらしいが。いまはどう考えてもこれよりずっと少なくなっている。栄養不足人口は多くても500万人程度であろう