日本との付き合い方(その2)

前回の続き。

日本では、組織が個人を圧倒しているという点で、仕事の進め方が世界の多くの国と違っているということを述べた。日本のやり方は、そのまま世界のほかの国では通用しませんよ、という話だ。

いま私は、ベトナムでソフトウェア関連のビジネスを考えている。

ベトナムの経済成長の原動力は、輸出加工型産業だ。ベトナムの安価で優秀な労働力を使って、原材料を加工し、製品を輸出するのが、この国の成長産業の基本的な姿である。

当然のことながら、私の立場であればオフショア開発を考える。ベトナムでソフトウェア生産拠点をつくり、ソフトウェアを日本に輸出するのだ。

ベトナムは、中国に比べると日本向けソフトウェア開発会社は少ない。数少ない日系のオフショア開発会社のウェブサイトを訪問してみた。多くの会社は「弊社のスタッフは日本語能力が高いので、お客様には何の負担もなく日本語でコミュニケーションできます」ということを第一のセールスポイントにしている。

ベトナム人エンジニアは、高い英語能力を持つ一方で、日本語ができる人材は多くない。日本語の専門家であるコミュニケータと呼ばれる人たちを配置して、日本の顧客とベトナムのエンジニアの橋渡しをすることがよく行われている。こうした会社ではエンジニアの日本語能力を高めようと、社内での日本語教育にも力を入れている。

私は、これを見て複雑な気持ちになってしまう。

日本企業の戦略として、日本語をベトナム人に習わせるのは完全に正しい。エントリ「言語の政治性」で書いたとおり、使用言語の選択には政治性があり、ネイティブスピーカーのほうが関係において優位に立てるからだ。

だが、日本企業で働く若きベトナム人の立場でみたときはこうも思う。前回の「日本との付き合い方」で書いたように、日本企業の働き方は非常に特殊だ。日本語に習熟し、日本企業に慣れてしまうと、逆に他の国の企業では働けなくなる。つまり、日本的なものから離れられなくなってしまうのだ。

日本は、この先どれくらい世界に対して経済的優位を維持していけるのか。もし、日本経済が没落すれば、ベトナム人たちの日本的なものへの投資は無駄になってしまうのではないか?ちょうど、ソ連が崩壊し、中年以上のベトナム人たちのロシア語の知識が無価値になってしまったように。

私が日本経済の行く末に不安を抱くのは、日本企業自体がかつての華々しい成功の原因とその後の停滞について、きちんと原因を分析・把握しているように思えないからだ。

ベトナム進出完全ガイド」という本がある。著者の会川精司氏は、1998年から6年間、総合商社であった日商岩井ホーチミン駐在員事務所長を勤めていた人物だ。いまは、ベトナム投資コンサルタントとして活躍している。1972年に日商岩井入社という経歴から推して、生まれは1950年前後、いまは60歳手前の団塊世代の人だろう。

この本には、著者の経験の重みが詰まっており、ベトナム進出を考える企業にとっては、非常に参考になる。私のような経験のない若輩が安易に論評できるような内容ではない。

だが、途中考えさせられる箇所があった。ベトナム人従業員の育成に関して、著者は次のように述べている。

育成には時間がかかるが、出来るだけ新卒者を採用して、基礎技能・社会人としての就業マナーとともに企業に対する帰属意識を育てていくことが重要だ。

これは、典型的な日本企業の発想であろう。欧米企業のように、数値的形式的人事管理が確立しておらず、帰属意識を通じた従業員の自発的・献身的な仕事への参与を強調するのが日本企業の特徴であるように思える。しかし、帰属意識とは、「われわれはひとつの家族である」というような、同質性を前提にしたものではないのか。ベトナム人を日本人の家族に取り込むということは、ベトナム人を日本人化しようという試みではないのか。

この書籍は、他の箇所で、日系大手電機メーカーの現地法人社長の言葉を載せている。ストライキを防止する方法として、次のような方法をとるべきだという。

日頃、地道に法律を守り、合理的な労使協調の企業運営に気を配り、労働組合をしっかり育て、自分達の労使問題には、ややこしい他人の口をはさませないという経営側と従業員の一体感をかもしだすこと

これもまた実に日本的な発想と言わざるを得ない。

会川氏もこの現地法人社長も、独立した論理的な思考の結果こういう結論に達したわけではなく、自社の中に空気のように流れる当然の思考法を言葉にあらわしただけであるように思える。

確かに日本企業(とくに製造業)は、1980年代の円高以降、世界中に生産拠点を作ってきた。そして大きな成功を収めてきた。そういう意味では、外国人に対しても、日本的な経営管理方法というのは有効であるのだろう。しかし、その成功の原因が論理的に分析されていなければ、それが今後の環境の変化の後も、依然として有効であり続けるか確信が持てない。

また、日本的経営は、インターネットをはじめとする新しい情報技術への対応では、ほぼ失敗していると言っていい。製造業で有効であったやり方が、情報産業にそのまま持ち込まれ、SIer の多重下請構造を作り出した。ソフトウェア企業の海外進出には特に注意が必要であるように思える。

ではどうすればいいのか、ということについては、次回に述べたいと思う。