学歴が消える日
前回、「東大コンプレックス」で東大という知的権威をめぐる、人々の複雑な情念のうごめき(コンプレックス)について考えた。学歴(学校暦)は微妙な話題で、深く考えるとややバツが悪い感じがする。
学歴は何のために必要だろうか。伝統的に、教育は、職業上の生産性を上げるものだと考えられていた。たしかに小学校で習うような最低限の「読み書きそろばん」的技能は、現代社会で働くためにはどんな職業であっても必須だろう。
では、大学の文学部はどうだろうか?たとえば、そこでインド哲学を学んだ人が、家電メーカーに入って、営業部に配属されたとしたら、大学時代に学んだ内容は本当に仕事に生かされるのだろうか。生かされる気もするし、そうでない気もする。
経済学では、学歴への投資をシグナリング理論を通じて考える。労働市場においては、雇用主から見て、どの労働者がどれくらい優秀なのかわからない。もし、ある学歴を獲得するのが十分に困難であれば、学歴は、その労働者が一定の潜在能力を持っていることのシグナルになる。そこで、雇用主は、学歴を持つ労働者を採用するようになる。ここでのポイントは、学歴を取得するのに一定の潜在能力を要すれば足り、学んだ内容はどうでもよいことだ。
上の営業マンの例で言えば、もし、その人が一流大学の文学部出身であるのなら、会社として、その人を採用するのは、合理的であるということだ。たとえ、大学で学んだ内容が会社の仕事と何の関係がなくても、である。
日本の大学の「レジャーランドぶり」は、このシグナリング理論できれいに説明がついてしまう。日本の大学では、一番難しい試験は、最初に受ける入学試験だからだ。入学した後、学んだ内容はシグナルとしてはおまけにすぎない。米国では、その点、卒業することが一番難しいので、自分の優秀性を証明するには、在学期間は頑張ってずっと勉強しなければならない。
なぜシグナルという回りくどいものが必要かといえば、上で書いたように、労働市場では誰が優秀なのか雇用主には判断できないからだ。逆に言えば、雇用主が学歴以外の方法で、労働者の能力を判定できるのなら、学歴は不要になる。
学歴を代替する可能性があるものとしては、資格があるかもしれない。学校に通わずとも、ある資格試験に合格したことをもってシグナルとするのである。日本の場合、司法試験が非常に難しいので、合格者の学歴がたとえ中卒であっても、一目置かれるのがその一例だ。
現代の新しい展開としては、ブログやオープンソース活動などインターネット上での活動が、能力の証明になる場面が増えてきている。たとえば、優秀なプログラマを採用したい IT 企業は、候補者のブログの内容やオープンソースプロジェクトへの貢献度をインターネット上で詳細に知ることができる。これは仕事内容により直結した能力を評価できるので、学歴より有用である。
だが、なんと言っても、学歴の必要性を根絶する最良の方法は、雇われない生き方をすることであろう。他者から評価されるから、能力の証明手段が必要になるのだ。もし、ある人が生み出す商品が直接市場で売れるならば、誰もそれを生み出した人自体の属性は気にかけない。人気ラーメン店はラーメンがうまいから客が集まるのであって、その店主が中卒だろうが大卒だろうが、誰も気にしないのだ。
日本で学歴の話が一種のタブーになってしまうのは、経済において、学歴が絶大な効果を発揮する官僚的な大企業の力が支配的だからだろう。もし、中小企業や自営業者ばかりの経済であれば、ここまで人々が学歴を気にかけたりしなかっただろう。かつて、日本でも、零細な自営業者たちが、数多く活躍していた時代があった。ちょうど今のベトナムのように。自営業者はいかに金儲けが上手いかで仲間内の評価が決まる。学歴が評価に占める割合は、大企業や官庁に比べるとずっと低い。
変化の兆しはある。小飼弾氏によると「Appleはアプリ制作者にApp Store経由で累計10億ドルを支払って来た」という。iPhone / iPad 上のアプリは1件数百円という小額で、開発者の多くは、小企業か、個人であろう。楽天市場のようなオンライン市場で売り上げを伸ばしている小企業や個人は多い。「巨大販売プラットフォームを用意する少数の大企業」+「そこに群がって商売する無数の小企業や個人」という構図が鮮明になりつつある。次第に「雇われない生き方」が容易になる社会基盤が準備されつつあるのだ。
この先も、社会基盤を提供する大企業や官庁がなくなることはないし、そこでは学歴が大きな意味を持ち続けるだろう。しかし、次第に「雇われない生き方」が社会に広がるにつれて、学歴を絶対視する風潮は後退していくはずだ。とても健全な社会の変化だといえるだろう。生産性に寄与しない、ただのシグナルに莫大な投資をしなくても済むし、学歴に起因するコンプレックスを人々の心に生み出すこともなくなるのだから。