韓国に学び日本を「開国」しよう

私の通うベトナム語クラスに、50歳の韓国人男性がいる。彼は、2000年頃までサムソンで海外部品調達の責任者をやっていたらしい。主な発注先は日本の大企業だった(要素技術は主に日本から買っていた当時の韓国の産業構造が浮き彫りになるかのようである)。

日本にはよく出張で来たそうだ。当時は相当日本語が話せたようだが、いまはだいぶ忘れてしまったらしい。それでも私が日本人と見ると喜んで日本語で話しかけてきた。しっかりした日本語である。どうやって覚えたの、と聞くと、3ヶ月間、韓国語厳禁の日本語研修施設にほうりこまれて、日本語だけで生活したからだそうだ。さすがサムソンやることが恐ろしい。彼は英語も上手である。

彼はいまはサムソンを辞めて、ベトナムで韓国系企業の工場長を勤めている。口数は多くないが、ユーモアのセンスのある粋な男である。サムソンを辞めたあと、いろいろ浮き沈みもあったらしく、そうした人生経験が彼の人格に深みを与えているのかもしれない。

どうしてサムソンが躍進し、日本企業がぱっとしないのだろう?とたずねてみた。彼が開口一番言ったのは「日本企業は、社内の書類のハンコが多すぎて、意思決定が遅いからじゃないの」ということだった。これにはあまりに思い当たる節が多すぎて、思わず爆笑してしまった。「サムソンは課長クラスもかなり予算をもらっていて、とにかくやることが早かったよ」ということだった。

彼自身は40歳のころにサムソンを辞めているのだが、サムソンの早期退職制度のためらしい。ただ彼いわくサムソンでも最近は会社にしがみつく人が増えているそうだ。「1990年代の日本企業みたいだよ」と彼は言った。サムソンもこれからダメになるだろう、という意味まで含んでいたのかどうか。

「最近、父親が韓国で働いて、妻と子供は外国に住んで英語を習わせる家族が多いようだけどどう思う?」と聞いてみた。答えは「韓国は小さな国だ。英語を学んで世界に通用する人間にならなければ生き残れないよ」というものだった。私は同世代の30代から40代半ばくらいの韓国人の英語力の水準はよく知っているのだが、20代の若い人たちはさらに英語力が上がっているらしい。

彼には18歳と12歳の娘さんがいるが、2人とも英語と中国語が堪能だそうだ。そのうちの1人は、日本語も出来るが、それは安室奈美恵が好きで、独学で日本語を勉強したからだそうだ。ビジネス言語としては英語と中国語に焦点を合わせている韓国人の姿勢がうかがえる。日本語は、もはやビジネス言語ではなく、日本のポップカルチャーを理解するための方便にすぎないということだろう。

彼は「この10年間、日本語を話していないからだいぶ忘れてしまったよ」と苦笑した。もちろんこれは彼の個人的な歴史の結果にすぎないが、私には日本の経済的地位が低下し、日本への関心を徐々に失っていった韓国の姿と重なって見えた。いまでは韓国人ははっきりとグローバル社会を見据えている。子供たちには英語の英才教育を施すことで、世界の荒波へ漕ぎ出す準備もしっかり始めている。

一方で、絶妙に中途半端な市場サイズを抱えた日本では、グローバル化への対応に向けて、意見が真っ二つに割れている。いわば「開国派」と「攘夷派」の対立である。「攘夷派」からは、社内英語化に取り組む「開国派」企業へ嘲笑が浴びせかけられたりする。

日本の大企業が従業員に課す英語の水準は低く、いまだに彼らは本気で社員の英語能力の向上に取り組んでいるとは言いがたい。一部企業は、外国人の採用を増やすとの方針を示しているが、中核的な日本人社員の外国語能力や外国文化への理解力を上げずに、どうやって外国人社員たちの力を十全に引き出すことができるのだろうか。

私は日本は「開国」すべきだと思う。まずは英語力の強化からはじめるべきだ。本気の英語上達のノウハウは韓国人たちが開発済である。そこから盗めるだけ盗めばいいのだ。かつてサムソンが退職した日本人技術者たちから多くを学んだように。国同士、学びあって相互に発展していくのだ。