ベトナム「弱者の戦略」

今日は、わがバイク友である Asukal さんホーチミン市北西部にあるクチ(Cu Chi)トンネルにバイクで行ってきた。クチトンネルは、ベトナム戦争時、南ベトナム政府に抵抗するゲリラ組織・南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)によって、手で掘られた、総延長200キロにも及ぶ、地下道ネットワークである。ここは、陶器の原料に使えそうな粘土質の土地であるため、素掘りして空気にさらせば壁が堅く固まり、このような長大な地下建築が構築できたようだ。その横断面の模型はまるで、アリの巣のように見えた。1万人ものベトナム人がこの地下に暮らしていたという。

日本語でのビデオ解説を見る機会を得た。いかに創意工夫を凝らして、米軍という世界最強の敵を散々苦しめ、最後まで抵抗することに成功したかが述べられていた。面白かったのは、とはいえ、休日には歌劇やトランプゲームなど、娯楽もあって、案外、楽しく暮らしていたと強調されていた点だ。何らかの政治的な意図が含まれているかどうかまでわからない。だが、日本人だったら「苦労に苦労を重ねて勝利を得た」という作りのビデオにするだろう。「戦争も息抜きが必要」と言っているかのようで、常にマイペースなベトナム人らしい。

とはいえ、現実には、米軍の B52 爆撃機が爆弾を落とすと、巨大なクレーターがあいて、トンネルの中に隠れたベトナム人たちもあっけなく死んだ。まるで、爆竹が蟻塚を破壊するかのように。それにもめげずベトナム人たちは、米兵を各種の「死の落とし穴」に誘い込んで殺し、米軍の残した不発弾から爆薬を回収して、自家製の兵器を作るなど、現実的な工夫を重ねていたことだ。ある文献によると、解放戦線は、米兵を精神的に追い詰めることによって、米国での厭戦的な世論を盛り上げるような宣伝工作も活発に行っていたらしい。ベトナムを「弱者」と呼ぶのは語弊があるかもしれないが、彼らが米国に勝利を収めることができたのは、己と敵の長所・短所についてきわめて現実的な情報分析を続けたからではないだろうか。同じ米国と戦って敗れた日本が、自分の力をわきまえず、甘い見通しの下に戦いを続け、最後は悲惨な敗北を迎えたのとは対照的である(懲りもせず、いま日本は全く同じ軌道を描きながら経済敗戦へ向けて坂を転げ落ちている感があるが)。

ここにはベトナム軍の射撃場があって、観光客に有料で銃を撃たせている。珍しい機会なので、私も試射に挑戦してみた。AK-47(ソ連)と M21(米国) というライフルと名前は忘れたが機関銃の3種類である。銃床を右肩に当て、右目で照準を睨んで、右人差し指で引き金を引く。銃弾が発射される瞬間、轟音が鳴り響き、銃床が右肩に強く押し付けられる。と同時に、100メートル先の盛り土で泥が弾ける。当然のことながら、機関銃を連射するのはあっけないくらい簡単だった。恐ろしさと同時にある種のあやしい官能を覚えたことを認めざるをえない。たぶん、銃を撃つということ自体が、人間にある種の快感を与え、人間を戦争に駆り立てる何割かの原動力になっているのではないか、と感じた。

征服者が勢い余って、被征服者を略奪したり強姦したりすることは歴史上何度も繰り返されてきた。生死の境界線を彷徨ってきた人々が、突然その緊張感から解放されたとき、銃を突きつけられ、おびえるウサギと化した被征服者に対して異常な衝動を覚えるのかもしれない。彼らの心理がふと理解できた気がした。

クチトンネルには、ホーチミン市内の主要旅行会社がツアーを催行している。期待していたよりずっと面白かった。お勧め。