中国恐るるに足らず

地震が東日本を襲った3月11日の午後、私は横浜市内のスターバックスでコーヒーを飲んでいた。そのとき読んでいた本が、これ。

岐路に立つ中国―超大国を待つ7つの壁

岐路に立つ中国―超大国を待つ7つの壁

地震に続く、大津波福島原発事故といろんなものに気を取られて、この本の感想を書こうと思いつつ、なかなか書けなかった。私はすべての内容に網羅的に書くのが苦手なので、独断と偏見で興味のあるところだけつまみ食いして紹介することにしよう。

著者の津上俊哉(@tsugamit)氏は、1980年東大法学部卒業。通産省(現・経産省)で中国畑を歩んだらしい。現在は、ベンチャーキャピタルの経営者として中国に投資。お役人をやめた後も中国と深く関わろうとしているわけで、この本の随所にも津上さんの中国への愛情を感じる。

だが愛のムチとでもいうか、この本で津上さんは中国に対してなかなか厳しい見方をしている。外から見てもあきらかなように、現在の中国には問題が山積している。

著者は、経歴からもわかるように、経済畑の人なので、言論統制のような人権問題は比較的あっさり流しており、今年(2011年)はじめに出版されたにもかかわらず、去年の劉暁波氏のノーベル平和賞受賞にまつわる騒動には一言しか触れていない。中国と深く関わるビジネスマンとしては、この方向の微妙な話題は口にしづらいのは理解できるが…。

津上さんの主要な関心は中国経済の未来に向けられている。それを予測する上で一番の懸念材料は中国の急速な高齢化だと言う。ある中国人専門家の論文を引用し、中国の出生率はすでに1.2と日本さえ下回る水準だと述べる。そのことにより、早くも2012年からは生産人口が減少し始め、2016年から総人口さえ減少しはじめるという。

農業国が工業国に変貌するとき、生産活動に寄与しない老人と子供の割合が減り、生産人口の割合が最大化する時期がある。人口動態が経済成長を加速するので、人口ボーナスと呼ばれる。21世紀の最初の10年間、中国は人口ボーナスの状態にあった。それが間もなく終わろうとしているのだ。

不思議なことに中国はいまだに一人っ子政策を堅持している。この背景には中国人の「中国は人口が多すぎる」「人口爆発が起こったら制御不能になるのでは」という一般通念の他に、人口抑制を担当する官庁(計生委)の利権構造があるのではないか、と著者は推測する。中国では2人目以降の子供を産むときには、計生委に高額の罰金(数千元〜数万元)を支払わなければならない。これが既得権益化しているのではないかというのだ。官庁の腐敗が日常光景の中国ではいかにもありそうな話である。

中国の経済規模(GDP)は、世界第二位に上昇したとはいえ、その果実は少数者が独占し、庶民はそれほど大きな恩恵は受けていない。中国では、「二元社会」と呼ばれる問題があり、農村戸籍の保持者が都市に出稼ぎに行っても、都市の正式市民としては認められず、種々の社会サービスを受けられない。かれら農民工と呼ばれる人たちは、年金などの社会保障制度にも加入できない。これから、高齢化が急速に進むのに、このままでは年金を持たない老人たちが大量発生してしまうかもしれない。中国が社会保障制度を整備するのに残された時間は長くないのだ。

中国ではこの10年間、税制改革と国営企業改革により、中央政府国営企業が莫大な財産を手にした。税制改革により、中央政府は徴税能力が大幅に向上し、国営企業が次々に上場したので、中央政府にはその上場益が入った。国営企業は配当を国に支払うことを免除されていたので、膨大な内部留保を手に入れた。その結果、「国進民退」と揶揄される官製資本主義が膨張しているという。

官製資本主義の難点は、経営者にガバナンスが効きづらいことだ。大株主が国のうえ、経営者たちも共産党関係者だ。役人根性があるので、見栄えのする巨大プロジェクト(鉄道・高速道路・重工業)への投資に偏重し、国民生活に豊かさをもたらすサービス業への投資がおろそかになりやすい。国営企業の上場益を国民生活の安定に必須の二元社会の解消や年金積立に使えればよいのだが、これも政治的理由でなかなか話が進まない。「官の官による官のための」官製資本主義が拡大すると、経済効率が低下し、中国の経済成長余力が失われかねない、と津上さんはかなり心配顔である。中国投資をする立場からは、経済成長の潜在能力が失われるのは一番恐れる事態であろう。

去年の秋、日中の政界を揺るがした尖閣諸島問題については、中国の「歴史トラウマ」が大きな影響を及ぼしているという。中国は19世紀から20世紀にかけて、欧米列強や日本に屈辱的な植民地支配を受けた。それが中国人の大きな心の傷となり、排外的な世論が沸騰しているとき「冷静になって相手の言い分も聞こう」という空気がうまれにくいと指摘する。それが周辺国との領土紛争に複雑な陰を落とす。

政治力や軍事力は、経済力の遅行指数であることが多いので、たとえ中国の人口ボーナスが終わり、中国の経済成長が鈍化しても、しばらくは政治力・軍事力の拡大は続くかもしれない。米国における「自由と民主主義」のような普遍的理念をもたない中国が、米国に肩を並べるような超大国の地位まで上り詰めることができるだろうか?私は難しいと思う。

中国の最大の問題点は、津上さんの言う通り、巨大な官僚機構を統制するガバナンスが十分でないことだ。中央は地方政府を有効に統制できない。普通選挙言論の自由もないので、市民が政府を監視することも難しい。司法の政治から独立は十分でなく、法曹界の人材の質も低い。加えて、津上さんはあまり大きい声では言わない(言えない?)のだが、中国の官僚たちは日本人の感覚からすると猛烈に腐敗している。仮に合理的な政策が立案されたとしても、全国津々浦々、それが企図された形で施行される可能性は低い。いろんな意味で中国社会には無理が堆積し、国民の不満が発酵し、言論統制によりかろうじて社会の安定が保たれている状態ではないか。

津上さんは「ノンポリの市民たちは、政治的な自由がないことを不満に思いつつ、社会を不安定にする急激な改革は望んでいない」というが、やや中国の体制によりすぎた見解ではないだろうか。むしろ、都市の住民たちの日常生活が満たされ、知的水準が向上するにつれ、西側の市民が享受している当然の基本的人権を持たないことに対する不満がマグマのように静かに蓄積していき、やがて地殻に小さな亀裂が入ったとき、そのエネルギーが一気に表面に浮上してくると思われる。

福島第一原発の事故の直接の原因は、当然のこと東北の大地震・大津波なのだが、その背景には長年の腐敗し利権化した政府と東京電力の体質があった。かれらの安全を軽視し、事故を隠蔽する体質は一部のジャーナリストや反原発運動家によって告発されつづけたが、政府と東電は権力と資金力を以て世論を誘導し、多くの国民は問題点に気づくことがなかった。しかし、今回の事件を通じて、そうした問題点が洗いざらい白日にさらされた。政府と東電は、不道理を重ねた末に、報いを受けることになった。

すでに巨大となった中国経済が一朝一夕に失速することはあるまい。だが、結局ところ、道理に反する行いは永遠には続かないのだ。遠からぬ将来、中国は自らが犯してきた自己撞着ゆえに、経済が失速し、社会は不安定化し、重大な政治的改革を迫られると予想する。矛盾のエネルギーは地下で着々と蓄えられ、地上に噴火する機会をうかがっているのだ。この場合、中国は超大国にはなりえず、「アジアの巨大なメキシコ」とでもいうべき、ぱっとしない中進国の地位にとどまるだろう。中国は日本の脅威にはならない。

仮に、中国が現在抱える種々の難問を幸いにもすべて解決して、穏健な民主主義国として生まれ変わることができるなら、それはそれで日本にとっては喜ばしいニュースだ。中国は、価値観を共有できる隣国になるからだ。中国が超経済大国となれば、日本もその恩恵に預かることができるだろう。この場合でも中国は日本の脅威とはならない。

というわけでいずれにしろ、中国をあまり恐れる必要はないだろう。日本は今回、大きな震災を受けて復興には長い時間がかかるだろうが、法治主義という中国が簡単には獲得できない美点をすでに確立していることに誇りと自信をもっていい。日本は日本人が卑下するほどダメな国ではないのだ。