「ソーシャルゲームはなぜハマるのか」理解するための一冊

ソーシャルゲームはいまの日本のウェブでもっとも利益率が高く、急速に拡大を続けている分野である。だが、私はソーシャルゲームというのを常々苦々しく思っていた。やっかみもあったのかもしれないが、なにしろソーシャルゲームの何が面白いのか少しも理解できなかったのだ。

だが、最近ソーシャルゲーム会社の幹部の方たちに会い、かれらの優秀さと人柄の良さに感銘を受けた。意外なことに、彼らは意欲的に生き生きと自分の仕事に取り組んでいるように見えた。

いったいソーシャルゲームとは何なんだろう?確かにくだらなく見えるのだが、自分で試さなければ、先入観だけで物事を判断する年寄りと変わらないではないか。そのため、わざわざ6年ぶりにガラケーを手に入れ、実際に試してみることにした。それと同時に、理論的にソーシャルゲームを解説している本はないだろうかと、ネットで評判のよかったこの本を入手した。

ソーシャルゲームはなぜハマるのか ゲーミフィケーションが変える顧客満足

ソーシャルゲームはなぜハマるのか ゲーミフィケーションが変える顧客満足

まえがきにはこうある。

本書が対象としている読者は次のような方々です。

ソーシャルゲームの面白さが理解できない方
・うっかりソーシャルゲームにハマってしまったことを周りに打ち明けられない方

おっと…世の中そんな方ばかりかもしれません。次のような方々も対象です。

・顧客ロイヤリティの維持・向上を考えなければならない立場の方

私もそうだ!と思わず引き込まれる。うまい導入だ。

著者の深田 浩嗣氏は京都大学大学院情報学研究科在学中の2000年に株式会社ゆめみを設立。携帯電話関係のシステム開発一筋で来た人らしい。いまは実際にソーシャルゲームの制作にも携わっているようだ。

著者は、冒頭で自分も最初はソーシャルゲームの面白さをさっぱり理解できなかったと正直に告白する。だが次第にやり込むにつれ、あるとき「ハマる感覚」を覚え、有料アイテムも消費するようになった。その体験から、「ソーシャルゲームは社会にとって有益である」と高らかに宣言する。キワモノっぽいタイトルとは違って、この本は統計を駆使したソーシャルゲームの現状説明やモチベーション心理学の論文紹介など、重厚な内容になっている。深田さんが相当見識の高いインテリなのが見て取れる。そういう人物でもハマるソーシャルゲームとは何なのだろうか?興味をそそられずにはいられない。

この本は次の三部構成になっている。

第1部 ソーシャルゲームの登場
第2部 ソーシャルゲームはなぜハマるのか
第3部 ゲーム以外の領域への応用:ゲーミフィケーション

第1部では、「ネットの大衆化」をキーワードとして、どういう背景の下、ソーシャルゲームが注目されるに至ったか、各種統計で説明する。数字がたくさん出てくるのでなかなか説得力がある。意外なことにソーシャルゲームのプレイヤーは高齢化が進み、有料アイテム購入者の中心は30代以上だという。

第2部では、分析道具として「ソーシャルゲームフレームワーク」という概念を提示する。そしてそれを用いて実際に GREEの「釣り★スタ」とモバゲーの「怪盗ロワイヤル」という代表的なヒット作品について分析していく。モチベーションはどうやって維持発展していくのかいくつかの心理学上の学説を紹介している。実際にソーシャルゲームを作っている人、これから作ろうとしている人たちには具体的なヒントが得られるのではないだろうか。

第3部では、ゲーミフィケーションとは何か概説している。著者いわく、ビジネスにとって、ゲーミフィケーションとは「顧客ロイヤリティの維持・向上」の手段であり、伝統的な一例として、航空会社が行うマイレージプログラムを挙げる。ゲーミフィケーションといえば、狭義ではゲームを使って現実の問題を解決すること(シリアスゲーム)なのだが、著者の関心はそこにはあまりないらしく、扱いは軽い。

ソーシャルゲームは、「ゲーム」という名前はついているものの、ソニープレイステーションのような伝統的コンソールゲームとは似ても似つかない。ゲームの内容は簡単でグラフィックも精巧なものとは言えない。日本のソーシャルゲームが、フィーチャーフォンガラケー)と呼ばれる比較的スペックの低いデジタル端末上で発達したのが一因だ。実際には、ゲーム運営者もわざとゲームを単純な作りにしている。本書の GREE やモバゲーへのインタビューによれば、「いままでゲームにも触れてこなかった人たちにも触れてほしい」という敷居の低さを求めた結果のようだ。

私も実際に、モバゲーの「怪盗ロワイヤル」とGREEの「釣り★スタ」に触れてみた。ただやりこんではいないので、まだきちんとした感想は書けない。

ただ、本当にハマっている人たちはいるようだ。本書によれば、有料アイテムを購入する人たちの多くは、上級者らしい。ソーシャルゲームという特徴上、ユーザー間にそれなりのコミュニケーションがあって、その「技術力」はソーシャルゲームのコミュニティの中では敬意の対象らしい。上級者たちは、その社会的関係から相当の満足感を引き出しているのだろう。ときには、それが生き甲斐の一部を構成していることさえあるかもしれない。その場合、ゲーム進行上のやむを得ない場合に、有料アイテムを購入するのもいとわないという心理になっていくのかもしれない。

だから、これはプレイヤーが単に相互にかかわり合うだけの「ソーシャルゲーム(social game)」ではなくて、むしろ独自の価値と動機付けの体系を持った「ゲーム社会(society of game)」なのではないだろうか。モバゲーや GREE は、その中でプレイヤーが相互に関わり合いながら喜怒哀楽を経験していくことになる仮想社会を作り出して、まるで政府が税を課すようにそこから金銭的収益を引き出しているのではないか。

メンバーの行動を誘導するために一貫した価値と動機付けの体系を設計することをゲーミフィケーション(gamification)と呼ぶのなら、いままでも人間社会の至る所にあった。例えば、大企業の人事システムだって、価値と動機付けの体系であり、従業員をある方向に駆り立てるために作られている。ただ、企業の目標は利益を上げることだから、外部の人間にも分かりやすい。

それに対して、ソーシャルゲームが社会の一部から激烈な拒絶反応を受けるのは、ゲーム内部の価値体系が、ゲームの外側にいる人間には理解できないからだろう。「釣り★スタ」は、食べられもしない仮想的な魚をひたすら釣り続けるだけのゲームなのだ。しかも、パチンコのように換金さえできない。それでも釣果を伸ばすため一本2000円の仮想的なサオが飛ぶように売れるのだ。ゲームに参加しない人間には何が嬉しいのかさっぱりわからない。「ハマっていない」人間からはまったくその行動が理解できないのだ。

おそらくソーシャルゲームのもっとも適切な比較対象は、カルト宗教団体だろう。そこで構成員たちは、活発な社会的な交流の中で、独自の価値と動機付けの体系に従って行動している。あるいは、マルチ商法の集団とも比較することができるだろう。ある集団を支配する価値観を外部の人間が理解できないとき、外部の人間は「うさんくさい」と感じる。そういう意味でソーシャルゲームは非常に「うさんくさい」のだ。社会的反発はこういう部分から来ている。

ただ、ゲーミフィケーションの手法は、ソーシャルゲームが発明したわけではない。たとえば、商店街の買い物スタンプも顧客を動機付けようとする原始的なゲーミフィケーションである。マイレージプログラムもそうだ。ただソーシャルゲームが新しかったのは、モバイル機器とインターネットという新しい技術を使って、この手法を徹底したという点にすぎない。

その結果は恐るべきものだった。人間は社会的動物であるという。仮想的な社会の中で、動機付けのさまざまなパラメータを適切に設定することによって、どんなにつまらない(と外部からは見える)目標に向かっても人々を駆り立てることができることを立証してしまった。「釣り★スタ」上の人間関係を重視する人たちにとって、仮想の魚はもはや単なるサーバ上のデジタル情報ではない。時には命をかけて(と言えば言いすぎかもしれないが)獲得し守るべき真剣な目標に転化するのだ。それゆえ彼らは大金をはたいてもアイテムを購入し、目標を達成しようとする。これが「ハマる」ということなのではないだろうか?

マーケティングの重要な目標の一つは「顧客ロイヤリティの維持・向上」である。顧客が自社のサービスに「ハマって」頂くことが欠かせない。もしゲーミフィケーションを使って、そこに独自の価値体系と人間関係の濃密なネットワークを作り出し、顧客がとうてい競合他社へ移れないようにできるのなら、マーケターは喜んでそれを採用するだろう。

良いことかどうかわからないけれども、どうやらウェブ全体が「顧客ロイヤリティの向上」を大義名分にして、ゲーミフィケーションの方向へ舵を切りつつあるのではないか。最近の Facebook に対する批判も同じ文脈にあるような気がしてならない。

これはソーシャルゲーム陣営にとって、社会的批判に答える理論的支柱たる本となりそうだ。ソーシャルゲームに対する賛否を越えて、「多くの人々がなぜかソーシャルゲームにハマる」という現象に関心をもつすべての人が一読すべきだろう。