カネを媒介としない新しい経済ー21世紀の評価経済論

新時代へようこそ。

経済は、いま20世紀型から21世紀型へ大きく変貌しつつある。
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  1. カネとモノの交換。これはもっとも伝統的な商取引であり、経済の基本である。20世紀前半はこれが経済活動の大半を占めていた。
  2. カネとサービスの交換。モノの生産が効率化して、モノの生産に従事する人間が減ると、サービスの生産に従事する人間が増えた。20世紀の後半には経済のうちの大きな割合を占めるに至る。
  3. 無料の情報発信。インターネットの発展とともに、情報発信のコストが飛躍的に減少して、事実上ゼロに。無料で提供される情報が爆発的に増大した。最初、有料で提供されていた情報も、複製コストがゼロという性質のため、(ときには違法に)共有されていき、事実上無料になっていく事例が続出した。
  4. 無料で提供された情報が有用である場合、発信者は優秀との評価を受けて、インターネットに評判を蓄積していく。その結果、高い評判をもつ情報発信者が提供するサービスには高い値がつくことになる。

たとえは、アルファブロガーのちきりんを想像してみよう。彼女は長年の無料の情報発信の結果、高い評判を得るにいたった。そのため、多くのアフィリエイト(人々の関心を他の商品に振り分けるサービス)・講演・コンサルティング等の彼女が提供するサービスを多くのカネと交換することができるだろう。無名のブロガーに比べた場合、その差は歴然としている。

評判は、サービスの単価を直接決定するのだ。評判を蓄積するには、インターネットへ有用な情報発信をすればいい。作家ならブログに文章を書けばいいし、音楽家なら自分の音楽をネットで無料に聞けるようにすればいい。情報発信は、評判を蓄積する唯一の方法ではないかもしれないが、最も有効な方法になりつつある。

情報発信者はなぜ情報を直接売ってカネにしないのだろうか?答えは、売れないから、だ。情報には、モノやサービスが持つ排他性がまったくない。複製コストがゼロである。どんな安値をつけてもそれより安く売る競争者が現れる。そして価格はゼロに限りなく近づいて行く。

情報発信を無料で行ったとしても、報酬がまったくないわけではないのだ。社会的に有益な情報発信を行った者は、高い評判を得る。そして評判が高まるほど、自分自身が提供するサービスは高く売れるようになるのだ。そうやって間接的に、金銭的報酬を得ることが可能だ。

だが、カネにこだわるのは、結局モノ不足の時代の因習なのかもしれない。これからモノは余りまくるだろう。生産者も売れないよりましだから、消費者はモノをタダ同然の安い値段で手に入れるようになる。そういう時代には、次第にモノ(≒カネ)は人生の大きな問題ではなくなっていく。初期には、評判を蓄積するのはサービスを高く売ってカネを得るのが目的だったとしても、次第に、評判そのものの蓄積が最終目的になっていくのではないだろうか?21世紀型の経済が発展するにつれて、評判をカネに換えるのはますます容易になっていくだろうからだ。

その結果、社会に流通する情報量は爆発的に増大するだろう。人々は、その情報の授受から大きな喜びを引き出して行くだろう。そこでは情報は情報と直接交換されて、カネが媒介することはない。社会にモノと情報があふれる、まばゆいまでの圧倒的な豊かさ。それが21世紀の新しい経済の姿だ。

P.S.
本エントリーで私が「21世紀の経済」と述べたものは、おそらく岡田氏が

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

で語る「評価経済」とほぼ同じものだろう。この書はネットで多くの反響を呼んだ。実は私はまだこの本自体を読んだことがないので、岡田氏の定義と完全には一致しないだろうが、便利な言葉なので、本エントリーのような意味で、これから評価経済という語を使っていくつもりだ。