私はおカネ儲けが苦手です

私たちは、資本主義経済に生きている。私たちは、大人になった後、四六時中、いかにカネを多く得て少なく使うか、いかに蓄えるか考えつづけている。カネは空気のように、社会全体にあまりに当然かつ普遍的に存在していて、それがわずか4000年ほど前、人類の長い歴史のごく最近になって登場したものであることを忘れてしまっている。

私は、茨城県の片田舎の中流の家庭に生まれ育った。父は大企業の管理職、母は地方公務員。地方では経済的に恵まれた方だったろう。古河市は、関東平野の北部に位置する農村地帯だったが、私が生まれた40年前には、急ピッチの工業化が進んでいて、新しく造成された工業団地に最新の工場が建設されはじめていた。私の父はそういう新設工場の一つで、生産管理の職に就くため、東京から赴任してきたのだ。

子供だった私は、まだ豊富に残る雑木林に入って、虫をつかまえたりするのが好きだった。だが、当時は次々に宅地造成が進められていて、お気に入りの遊び場がある日、突然立ち入り禁止になり、重機が木々をなぎ倒して、林を破壊して行くことがよくあった。私は、そのたびにこう思ったものだ。「どうしてこんなことをしなければならないのだろうか?」と。田んぼだらけの田舎だ。平らな土地なら、いくらでも他にあるではないかと。私が不動産ビジネス一般に持つ深い反感はここから始まった。

私は、子供のころから物欲というものがあまりなかった。最も欲しかったのは、本だった。それ以外で、やや高価なものをねだったのは、望遠鏡とパソコンくらいだろうか?高価といってもせいぜい5万円程度のものではあるけれども。私が思春期を過ごしたのは、あの浮かれた軽薄な80年代で、人々は不動産投機やブランド品の買い漁りに酔っていた。だが、私はそうした行動の何が嬉しいのか真面目に理解できなかった。

私は、モノと、それを象徴するカネというものについて、複雑な気持ちを持ち続けてきた。私がカネにどれほど深い関心を抱いていたかは、次の私の経歴を見れば分かる。

  • 高校時代、唯物史観に傾倒。下部構造としての経済が、歴史を作って行くという考えに夢中になった。
  • 大学は、経済学部に進む。経済が社会にとって持つ意味を深く考える。カネ(貨幣)が経済ではたす不思議な役割について考察する。
  • 大学卒業後、銀行に就職。当時は、産業金融的なものに興味を持っていた。カネがどういう風に新しい産業を作っていけるか。だが、すでに日本経済は成熟していて、産業金融は歴史的役割を終えていた。
  • 専業デイトレーダーとして株式投資に注力。金融市場の本質的な予測不可能性について思いを馳せる。
  • USCPA(米国公認会計士)試験に合格して、大手会計事務所に職を求める。

私がカネにこんなにこだわったのは、現代の高度消費社会のある種の側面がよく理解できなかったからだ。私にとって、すでに欲しいモノは充足しているのに、人々はなぜそれ以上にモノを求めるのだろうか?高度消費社会で、生産され消費されるあれやこれの奇をてらったモノやサービスは本当に「必要」なものなのだろうか?それは、私が子供のころ目撃したような、地球環境の破壊を正当化しうるものなのだろうか?

消費者向けの製造業は、すでに私にとってもはどうでもよいガラクタに「付加価値」をつけて売りつけるだけのつまらない商売にしか見えなかった。そのガラクタを売りつける理由が、カネを稼ぐことにあるのならば、むしろ純粋にカネだけを作り出せばいいのではないか?無駄な環境破壊をしないですむ分、そのほうがはるかにマシだと。それが私が金融や会計に興味を抱いた理由だった。そこには、高度消費社会に対する深いシニシズム冷笑主義)があった。

私が選んだ職業がソフトウェア技術者であったことも、私のこの性格傾向に拍車をかけた。ソフトウェアはまさに純粋なデジタル情報である。すべてのデジタル情報がそうであるように、複製には何のコストもかからない。ところがソフトウェアビジネスは基本的に、無限に複製され拡散していくというデジタル情報の本来の性質をがんじがらめに縛り付けて、プログラムのコピーを厳しく制限することによって成り立つ産業だ。そして、無料のオープンソースソフトウェアの方が、数十億円をかけて作られる政府調達のソフトウェアよりずっと高品質高機能だったりすることもしばしばだ。情報の世界では「高価=高品質」は成立しないのだ。これで、カネに対して皮肉な気持ちを持たずにはいられるだろうか?

勘違いしてほしくないのは、私はカネ儲けに一切反対する人間では決してないということだ。嫌儲家たちは、アフィリエイター(ネット広告で稼ぐ人)たちを目の敵にすることが多い。私自身がアフィリエイターであるから、当然、これ自体が悪いとは思っていない(もっとも品の良くないアフィリエイターがたくさんいるのも確かだが)。

私たちは、第一に物理的存在である。一定の衣食住の供給を受けなければ、生命を維持できない。一定のモノを得る必要がある。現代の高度に分業が進んだ経済では、カネを得る必要があることを意味する。私たちのすべてが、一定のカネを獲得する必要があることには少しも反対しない。

ただ問題は、そのモノ=カネはどれくらい必要なんだろうか、ということだ。人間の欲望は無限であるのは確かだ。だが、その欲望は、すべて物欲という形で表現される必要があるのだろうか?モノへの欲求がある程度満たされたら、他の非物質的な欲求が生まれてくるのが自然ではないだろうか?

たとえば、私が Twitter で、

好きな場所に住み、好きな人と好きな時間だけ働く。2年働いたら1年休むとか、週に3日間だけ働くとか。そういうライフスタイル上の自由度がこれからの時代の豊かさの実体になっていくのではないだろうか。

と書いたら、RT + Fav が300以上あっという間に集まった。モノが売れずデフレだというけれども、一方で日本人はこうしたライフスタイル上の自由に対して、飢餓感に似た極めて強い欲求をもっているのではないだろうか?モノ中心の社会では、正統な欲求とさえ認められてこなかったのかもしれないが、今や高級車を乗り回すより、こうした自由な生き方に対する欲求を満たす方がはるかに人々を幸せにするのではないだろうか?ならば、新しい工業製品を開発するのと同等以上の熱意を持って、こういう生き方を可能にする方法を社会全体で模索すべきではないだろうか?

いまの社会は、モノが不足していた時代の記憶を基礎に形成されている。無理もない。人類の歴史は、ほとんどの期間、モノ不足だったのだから。ところが、いまや生活必需品はごく少数の人たちが生産すれば間に合ってしまう時代になりつつある。先進国から農業のみならず製造業も姿を消しつつあるのはその象徴だ。いまやモノ余りの時代なのだ。そして、モノ余りの時代には、モノ不足の時代とは異なる価値観と倫理が必要だ。

過剰は不足と同じくらいに問題なのだ。たとえば、常に飢えていた古代人がタイムマシンに乗って現代にやってくることができたら、食料の豊富さに狂喜して毎日腹がはち切れるばかりに食べ続けるだろう。そしてあらゆるに生活習慣病に悩まされる結果になるかもしれない。過剰に対しても私たちは適切な備えが必要なのだ。

来たるべき経済では、すでに過剰になっているモノ(=カネ)の重要性は少しずつ低下していくだろう。その新しい姿は、見慣れた従来の経済と全く違うために、多くの人たちは次の一歩を踏み出すことに躊躇を感じている。私もそんな一人だったが、最近徐々に分かってきたことがある。それをテーマに、今後、少し理論的なエントリーも書いていこうと計画している。

私は、カネに対して皮肉な見方を捨てきれず、その結果、カネ儲けがうまくできなかった。従来の社会において、特に男が、「カネ儲けが苦手だ」などと告白するのは、大きな恥だった。だが、幸いカネの価値が二次的になる時代が近く訪れようとしている。だから、私はぶっちゃけてしまおうと思う。

私はおカネ儲けが苦手です。苦手なカネ儲けにこだわるのは時間とエネルギーの無駄なので、今後は、私が信じる社会的価値の建設に全力を尽くそう。他者に真の価値を提供し続けるかぎり、私の生存に必要なカネくらいは得られるだろう。どうせモノは余りまくっているのだから。

スローガンは「特定非営利活動個人(NPP, Nonprofit Person)で行こう!」で。

P.S.
私のこういう生き方を「高等遊民」と揶揄する人たちもいるようだ。高等遊民がもっとも的確に描写されているのは、夏目漱石の「それから」をおいて他にないだろう。

それから (新潮文庫)

それから (新潮文庫)

主人公の代助は、裕福な親のスネをかじって生きる明治時代のニートだ。代助は、当時、最高級の頭脳を持ちながらも、厭世観ゆえに、俗世間に職を求めなかった。彼の高い能力と親の実業界へのコネを使えば、高給の仕事に就くことは少しも難しくなかっただろう。彼は家に閉じこもっていたので、第三者に影響を及ぼすこともできず、結果として生産活動を行うことができなかった。彼が現代に生きていたら、おそらくアルファ・ブロガーとなってアフィリエイトだけでメシを食えていたにちがいない。明治時代にインターネットがなかったのは、彼にとって不幸なことだった。

もっとも、この代助は、多くの部分で文豪・夏目漱石の分身でもあるだろう。夏目漱石も、俗世間にウンザリしており、できれば代助のように暮らしたかったのではないか? 現代は、そういう「ニート高等遊民」たちがネットを通じて生活の糧を得やすくなっている素晴らしい時代だ。