Skype 相談の功罪

Skype 相談は、私のブログ読者・フォロワーを可視化する効果をもたらした。私に相談してくれた人たちは、みな優秀な人たちであった。多くは、私のブログや Twitter アカウントのファンで、私に対して好意を持ってくれていた。好意は大変ありがたい。深く感謝したい。だが、敢えて以下のことを言わねばならない。

私は一つの真理を悟った。時に、好意は悪意より厄介である、と。自分を嫌う人たちを無視するのは、比較的易しい。目をつぶって感情的なつながりを全部断ち切ってしまえばいいからだ。だが、好意を持たれた場合は、事情は複雑である。ある種の自分に対する期待が、好意の形を取ることがある。この場合、ついつい期待を実現せねばという義務感を感じてしまう。これがなんとも窮屈なのだが、自分が受けた好意に基づくものであるから、扱いに困るのである。

私は、私であり、私以外の何者でもない。他者が私に何を期待しようが、私は淡々と私の道を行くしかない。そのためには、自分に好意を持つ人を失望させる勇気を持たなければならないのだろう。Skype 相談は一期一会の出会いである。私はその場で最善を尽くしたつもりだ。そのとき、私と相談者の間にはある種の調和が存在していた。だが、永遠に続くものはこの世に存在しない。私の言動が、彼/彼女の期待から外れた時、その調和は失われるだろう。それは痛みを伴う。だが私はその痛みを乗り越えていくしかないのだ。

Skype 相談で困った点がもう一つある。私は、当然のことながら、膨大な個人情報を抱えることになってしまった。相談者自身のプライバシーに関わることは公開できない。これは当然のことながら、なるべく情報は共有していきたいと考える「パブリックマン」的姿勢と矛盾する。実際のところ、相談者にとっても、私が彼らの情報の一部を公開することで、恩恵を受けることがあるはずだが、私が勝手にそれを公開することはできない。いちいち許可をとってやるのも面倒だ。結果としてすべて非公開になってしまう。本当は「相談者A さんと B さんは、やっていることに相乗作用があるから引き合わせしたいな」とか思っても、なかなかできないのが実情である。これが私が Skype 相談をやっていて一番ストレスを感じるところかもしれない。

Skype 相談は続けて行くけれども、人々が情報をシェアすることを前提にした場に活動の中心を移行していくつもりだ。6月から少額だが有料の「学習コミュニティ」を作ろうと考えている。これはあえて有料にして、参加者に多少のコミットメントを求める。詳細は、近々発表する。お楽しみに。

P.S.
私は、財政報告をしばらくお休みしようかどうかと考え中だ。興味本位の関心を集めすぎた気がするからだ。その視線に正直、やや疲れた。疲れたら休むのが一番。永遠にやめてしまうとは言わない。また、自発的に公開したくなるときまで休みをもらうだけだ。これがある種の人たちを失望させて、私から離れて行くことになるかもしれない。それが私が思い入れを持つ Skype 相談者の中にも現れるかもしれないが、その痛みは受け止めるしかないのだろう。

私が以前「パブリックマン宣言」を行ったのは、自分に関する情報を表明することで短期的に不利になることがあったとしても、自分の真実の姿を知ってもらうためには情報公開を断行する、という決意の表明であった。それは必ずしも自分の財政をオープンにする、ということだけを意味していたわけではなかった。ややネガティブなことを言えば、それだけ「読者」「ファン」が離れて行くかもしれないが、それはやむを得ないと考えている。