マニラ行きの船で出会った人々
セブシティからマニラまでフェリーに乗った。客室の等級は4つ。上から、Stateroom, Cabin, Tourist, Economy となるのだが、私が乗ったのは、cabin クラスという上から2番目の一部屋4人の客室だ。運賃は約4000円。航空券が十分買える金額だ。LCC が活躍する今日、経済的な意味はあまりない。ただ、古来海を行き来していたフィリピン人の視点に立ってみたかったのだ。
船は昔の日本の航路で活躍した大型客船の払い下げ品であり、日本人には親しみやすい。やや古いとはいえ施設は立派だし十分快適である(特に上級の客室を取れば)。
今日はそこに私を含めて3人客がいた。私以外の2人の客は、中年の男性と若い男性のフィリピン人たちだ。同室のフィリピン人たちと一緒に、フェリーの上級客室向けの食堂で昼食を取った。
中年の男性は、とても愛想がよかった。皺の奥まで日焼けした労働者の風貌である。実際、彼はかつてサウジアラビアで8年間運転手をしていたという。最初の5年は兄弟の学費を稼ぐために費やされた。最後の3年間にようやく自分のためにカネを蓄えることができた。フィリピンに帰ってきてそれを元手に自分の商売を始めた。
マニラの人だが、全国を行き来しているらしい。cabin クラスに泊まれるのだから、そこそこは稼げているのだろう。まさに裸一貫で財産を築いた人だ。彼の柔和な笑顔からは、深い人生経験がうかがえた。私はこういう人物には敬服してしまう。
もう一人の若い男性の方は、色白ではにかみ勝ちな感じだった。意外なことに、聞けば空軍勤務だという。とても軍人という男性的な雰囲気ではなかった(空軍の人がなぜ船で旅しているというのは不思議な感じがするが…)。
この二人の男性はどちらも英語があまりうまくない。私のいう英語はよく理解しているようだが、自分たちではあまりうまく話せないうえに、訛がひどい。だから私も半分くらいしか理解できない。それでも、若い軍人さんより、中年の男性のほうが英語がうまかった。
彼らが日本企業の技術力を褒めてくれるのを、こそばゆい思いで聞きながら、私は質問した。「フィリピン大学(UP)等に行くと優秀な人たちはいくらでもいるじゃないか。どうして彼らの才能を活かせないのか」と。中年の男は、首を振って答えた。「いや、優秀な連中はみんな外国へ行ってしまうんでね…」と。優秀なフィリピン人はほぼ例外なく英語が堪能なので、外国で働く上で技能的な障壁はかぎりなく低い。仕事のオファーとビザさえあれば、簡単に外国へ行ってしまうのだろう。
人材も資本もなかなか蓄積しない国…それがフィリピンの実情なのだろう。
夕飯の直前、午後6時前に、船内でミサが開かれた。そのミサの模様を船内放送で大音量で流し続けたのには、やや閉口した。フィリピン人の大多数がカトリック教徒であるのは認めるにしても、他の宗教を信じる人たちもいるじゃないか。南部にはかなりの数のイスラム教徒たちがいる。たしかに、カトリックがデフォルトの国にムスリムたちが住むのは相当居心地が悪いだろうな…と私はやや同情を禁じ得なかった。
中国やベトナムは共産党による一党支配が行なわれ、一党支配という政体そのものへの批判はかたく禁じられている。フィリピン人は自分たちの民主主義を誇るけれども、この国だってカトリック教会が人々の精神を支配している実態に対する根源的な批判は禁忌であり、事実上できないではないか。
フィリピンは文化的にまとまりのない国である。その中で、フィリピンに民族的アイデンティティを与えているのがカトリックなのだろう。スペインによる植民地支配を広める上で、重要な役割を果たしたカトリックが、被支配民たち唯一の拠り所になっていったのは皮肉であり、ある種の哀しみを感じざるを得ない…。
考えてみれば、イベリア半島を占拠していたイスラム教徒を追い出した(レコンキスタ)勢いに乗って、スペイン人は世界中に乗り出して行き、大航海時代をポルトガルとともに築いたのだった。遠い東洋の植民地で国で、ふたたびキリスト教徒とイスラム教徒が対立しているのは、歴史のいたずらだろうか…。
夕飯は、同室の若い方の男と一緒に食べた。何気なく宗教は何かと聞いてみると、イスラム教徒だという。期待していなかった答えなので私はやや驚いた。彼はミンダナオ島最西端のサンボアンガの人であった。ミンダナオ島の人なのだから、イスラム教徒だとしても不思議はない。
彼は身の上話を始めた。彼の父親は中国人で、イスラム教徒の母親と結婚したことをきっかけに自分もイスラム教徒に改宗したのだという。確かに彼は中国人(あるいは日本人)のような色白の顔をしている。父親には妻が二人いるという。イスラム教徒は4人まで妻が持てるというルールを本気で適用した結果らしい。イスラム教徒に限ってはフィリピンでも合法だという。まさかイスラム教徒がそんなことを本当にやっているとは。ただ彼は、妻は複数持てても全ての妻に対して同等の経済的援助と愛情を注ぐことが前提条件だと力説していたが…。
サンボアンガの治安はどうだ?と聞くと、外国人はよく営利誘拐されるね、とさらりと言う。でも街中に数日滞在するくらいなら大丈夫だ、ただ長期滞在は勧めないね、と。カガヤン・デ・オロとダバオなら治安がいいから大丈夫だ、とガイドブックと同じことをいう。実際そういうことなんだろう。彼は、イスラム教徒だが空軍の人間で、イスラム教徒の武装勢力は敵にあたる。イスラム教徒たちの反政府主義者たちに共感や同情は覚えないのだろうか。そんな質問をしてみたかったが、さすがにはばかれた。
サンボアンガはマレーシアに近いね、と話題を振ってみた。ボルネオ島にフェリーが出ているのだがこれにはまだ乗ったことがないそうだ。イスラム教のマレーシアにイスラム系フィリピン人はやはり一定の親しみは感じているようで、暮らしやすいらしい。経済力はマレーシア>フィリピンなので、マレーシアに不法滞在して働いているフィリピン人はそれなりにいるらしい…。
台風が近づいているようで、波がやや高く、微妙に揺れている。実質内海であることを思えば、これはかなり揺れている方ではないか。
船はマニラ港に近づいてきた。船の旅というのはのんびりしていてよいものである。一昔前の人たちは船や汽車で長距離移動をしていた…飛行機や新幹線に比べればはるかにロマンがあったと言えるだろう。フィリピン人たちの旅情に触れる24時間の船旅であった。