私が BLOGOS をやめた理由

本当に久しぶりにブログを書く。この半年間、どうにもブログを書く気分になれなかった。いまもまだ本調子ではないのだが、そろそろいろいろぶっちゃけてもいいだろうと思い、再び書き始めている。

BLOGOS をやめた。BLOGOS は最初誘われた数年前は、なかなか面白いメディアだった。だが、最近は、単なる論争好きのマスコミみたいになってしまった。扇情的なタイトルが並ぶ夕刊スポーツ新聞みたい。こういうところに自分のブログエントリーが転載され、暇つぶしとして消費されるのには耐えがたさを感じるようになっていた。

そもそも英語圏の言論に慣れてしまうと、日本の「ネット論壇」はレベルが低すぎて、まともに相手をしたくなくなる。そもそも社会科学や政治批評の分野では、日本の言論は欧米に比べて格段に見劣りするのだが、それにましてネットでの議論は質が低いものが多い。これは、日本ではまともな人々が一向にネットに出てきて議論しないのも一因であろう。

私は、以前、韓国を例に挙げて、日本も外国に見習うべきところがあると述べたところ、BLOGOS 経由で批判コメントが殺到した。「韓国」というキーワードだけで条件反射的に攻撃を仕掛けてくる人々が、BLOGOS 周辺には多数生息しているようで、ぞっとした。

韓国をまつわる話題というのは、確かに気が重くなるものが多い。だが、近代日本の形成において、朝鮮半島が果たした役割は限りなく大きい。実は日本と朝鮮半島の歴史は、20世紀以降、切り離しがたく結びつき、相互に深い影響を与えながら、いまに至っているのである。だから、朝鮮半島について考えることは、日本について考えることであり、逆もまた真なのである(日本・韓国・北朝鮮がまったく別々の歴史観を持っていることは悲劇としか言いようがない)。だから、私はこれからもあえて朝鮮半島の話題は、ブログに取り上げていくつもりだし、そのためにも、「韓国」「朝鮮」という言葉に自動的な反応を起こす人たちとは距離をとっておきたかった。

BLOGOS に転載されるかもしれないというのは私にとってはある種、微妙な心理的圧力として働いた。そもそも個人のブログは何を書いてもいい場所のはずである。別にニュースメディアではないのだ。時には、私的な事柄をダラダラと書き続けてもよいだろう。そういう自由な発想が持ちづらくなってしまった。これは、BLOGOS のせいというより、私の精神的な弱さのせいかもしれないが。BLOGOS をやめたおかげで、「好きなことを好きなように書く」という個人ブログの原点に戻ってこられたような気がする。いまとても晴れ晴れとした気分だ。