ごく小さく現実に社会を改善すること、それに満足すること

正直に告白すると私はこの1年間くらい極端なスランプが続いている。去年「パブリックマン宣言」をしたころはイケイケのノリだったのだが、その後、自分の中の矛盾の存在を無視できなくなり、放浪するように、ドイツ・ベトナムに滞在し、去年の年末、日本に戻ってきた。

日本に帰ってきても、気に食わないことばかり。外国に慣れてしまった身には、日本の事物の一つ一つの特異さにイラつかされた。ふたたび海外に脱出しようと画策した。米国の大学院で博士号でもとれば人生をやり直せるのではないか、とも思った。しかし、カネが足りない。八方塞がりだと思った。

私は、日本人が海外に出ることに関しては非常に肯定的だ。とくにいままで日本から離れたことがない若い人は、ぜひ海外に留学か就労という形で数年間住んでみることをおすすめする。日本と外国の違いを知り、日本を相対的な目で見られることになることを通じて、人格的な成長が得られると思う。

ただ私の場合はどうか。カナダで4年、ベトナムで2年半、中国や韓国にも半年ずつ住んだことがある。数週間程度滞在した外国は数えきれないくらいだ。国際的なものとは何か知るのにはもう十分な経験を積んだのではないか。

こんなさまざまな経験を積んだ私が、外国のことを知らない多くの日本人たちを責めるのは不毛ではないか。むしろ彼らの中の一部で、外国に興味を持つ人たちを教え導く立場に立つべきではないのか。

私は、日本の何がそんなに嫌なのか、この数か月、沈思黙考した。これはまるで湿地の岩をひっくり返して、隠れていたミミズの数を一匹一匹数えるくらいに気が重くなる作業だった。私が日本で嫌な部分は主に次の二つだろう。

1) 日本人が外国のことを知らなさすぎて、世界から孤立していること。外国人の価値観に対して鈍感すぎること。
2) 日本人の労働時間が無駄に長すぎること。本当の意味の顧客本位になっておらず、重労働にも関わらずそれが経済効果として表れていないこと。

この2つは、互いに関係しあっている。世界で普通の働き方が理解できないために、日本的なドツボにはまってしまい、外国人とうまく協働できない。外国人とうまく働けないから、ますます日本人だけの輪に閉じこもる。悪循環だ。一連の要素が互いに補強しあっているから、崩れることのない強固な構造を作り出している。マクロ的に見ればとても変化が起こせそうには思えない。だがそこには本当に絶望しかないのか。

私自身をもっと深く反省してみる。上で言ったことと矛盾するようだが、私はこれだけ長い海外経験を経ても、アジア人以外の外国人に対してはいまだに身構えてしまうところがある。見かけの違いもさることながら、アジア人以外は異質なオーラを放っていて、一緒に長くいると疲れてしまう部分がある。恥ずかしながら、私は自分が期待するほど身体がコスモポリタンになっていないようである。

どうしてこうなってしまうかといえば、おそらくは子供のころ、日本人以外との接触がなかったせいだろう。異文化と触れ合うには、子供のときが一番だ。子供は自分自身が白紙であるから、何か頭から排除することはない。なんでも吸収してしまう。異質な文化や言語もやすやすと飲み込んでしまうのだ。私が育ったエリアは、田舎で私が子供のころは日本人しか住んでいなかった。思春期以降になって、発展途上国から肉体労働者たちが流入してきたが、彼らの日本での社会的地位は低く、私はそれほど関心を持たなかった。10代の私は対人恐怖症気味で、外国人はおろか日本人とすらよい関係を築けなかったのである。

私の身体の奥底には、外国人に対する恐怖や偏見がいまだに巣食っている。排外主義的な日本人、外国に無関心な日本人を見て覚える嫌悪感は、実は自分自身のいやな部分に対して向けられているのだ。私が、カナダで主流の白人社会にうまく適応できなかったのもここに原因がある。

私は、最近、外国につながりを持つ子供たちに勉強を教えるボランティアを始めた。外国につながりを持つ子供とは、片親の両方または一方が外国人であったり、外国で生まれた子供たちで、多くが日本語力に問題がある。日本生まれの子供でさえも、親の日本語力が低い場合、子供に日本語で勉強を教えることが難しく、子供は高学年に進むにつれ勉強に遅れを生じることが多い。こうした子供たちを支援しようという趣旨のボランティアである。

ボランティアをする日本人たちは、50歳以上の中高年、とくに女性が多い。彼らは、まじめで優秀な人たちである。日本で外国人が遭遇する問題について、真摯な関心を寄せて、力を尽くしている。もちろん、いろいろと細かい問題はあるだろう。だが、私はこういう素晴らしい人たちがいるのは日本も捨てたものじゃないな、と思った。

重度心身障害児教育に携わる親や教師は、制約の大きい障害児が必死の努力の後で、新たな身体表現の自由度を得ることに対して、大きな喜びを見出すという。いまの日本は、閉塞・停滞を極めており、今後も緩やかな衰退を続けていくだろう。マクロ的に見たとき、日本には絶望しかないのかもしれない。だが、ミクロ的に改善の努力を続けることは本当に無意味なのだろうか。いずれ衰退と崩壊という大きなうねりに飲み込まれるとしても、そこまでの過程でほんのわずかでも「現実に」改善が見られたなら、それを喜ぶことは間違っていないのではないか。

障害児は、ほかの子供と遊ぶ時に、噛みついたり、押し倒したりする危害行為に及ぶことがある。だが、これは多くの場合、自分が何かを表現したいが、身体的制約によってそれができなかったり、表現の方法を知らずにイライラして起こるという。私がブログや Twitter で日本社会に対して毒を吐き続けるのも同じことかもしれない。本当はそういう攻撃的態度に出るのではなく、漸進的・現実的に一つ一つの問題を解決していくべきなのだろうと思う。腰を据えて、新しいムーブメントを自分自身で作るべき時が近づいているのかもしれない。「何かが足りない」のなら、嘆くのではなく、自分の手で作り出すこと。これが私がこれからやるべき仕事なのかもしれない。