自分の限界を乗り越える

今回は(も?)完全に自分語りエントリーである。ご興味のない方はここでページを閉じてほしい。


…と警告はした。ここより下は完全に私が自分のことだけを語るので何も得ることがなかったとしてもどうかあしからず。

私はいま仕事のことで本当に悩んでいる。

このブログで何度も書いているように、私は大学卒業して入った銀行をすぐ辞め、1年間のフリーター生活の後、ソフトウェアエンジニアになった。その後紆余曲折あったが数年前にフリーとなり、それなりに稼いだもののいやになって辞めてしまった。だがいまだにソフトウェアエンジニアに代わる仕事の軸を見つけることができないのである。

私はなぜソフトウェアエンジニアであることがそんなに嫌だったのか?私は、エンジニアとしての仕事に興味が持てなかった。その最大の理由は、自分の受け身の態度でなかったかと最近思うようになってきた。

ソフトウェアエンジニアの市場はいまも昔も基本的には売り手市場である。失業するエンジニアもいるが、本当に優秀な人に仕事が全く来ないということはまずない。私が本当に優秀なエンジニアであったかどうかいまは確信がないが、私もエンジニアとしての仕事には困らなかった。自分が望まなくてもそこに何らかの仕事はあった。仕事をこなせばおカネが入ってきた。

禍福はあざなえる縄の如し。これがかえって悪かったのかもしれない。私はカネを稼ぐために仕事をこなしていった(こういうふうに今の告白するのは、過去の顧客に対して申し訳なく思うけれども)。もちろん職業人としてなるべく良心的に仕事はしたつもりだ。だが、心の芯では仕事を楽しんでいなかった。だから、顧客と仕様変更を巡ってもめたりもした。本当に仕事を楽しんでいれば、あそこまでビジネスライクな対応をしなくてもよかったのかもしれない。顧客とともに成果物の完成を楽しむという部分が乏しかったのかもしれない。

私は技術者の父と公務員の母のもとに生まれた。父は、堅物で人付き合いが得意ではなかった。対照的に母は社交的。企画が得意で、いろんなイベントを催しては成功させていた。私の性格は、この二人のちょうど中間という感じだ。父の内向的な部分も、母の外向的な部分も、両方持っている。父の緻密な性質を引き継いだからこそ、ソフトウェアエンジニアの仕事をこなすことができた。だが心はどこかエンジニアの仕事を飽き足らなく感じていた。

学校の成績がよかった私は、小学時代、よく学級委員長を務めていた。だが、私にはどうやら人望がなかったらしく、クラスメートは私のいうことをよく聞いてくれなかった。今思えば私の「指導」は杓子定規すぎて子供らしさに乏しく、クラスメートの気持ちに沿わなかったのかもしれない。その体験がトラウマになり、私はリーダー的なポジションから逃げ続けてきた。指導すべき対象の人々が自分のいうことを聞いてくれないのではないかという恐怖。私は、エルムラボというオンラインコミュニティを主催しているが、なかなかリーダー(という言葉が強すぎるとしたら世話役)としての役割をきちんと果たせていない気がする。

私は子供のころから社会に深い関心を寄せていた。小学校のころ歴史を初めて学んだとき強く興奮したことをよく覚えている。私の本当の興味は、社会や人間にあり、他者に働きかけて、社会を少しだけ変化させることにあるようだ。だが、私はいままで断片的な技術的仕事をしてきて、他者への働きかけができていないというフラストレーションに悩んできたのだ。

私が本当に関心があることは何か?

それは社会変革なんだろうと思う。



笑った?いったい一介のニートもどきに何ができるのだろう、と思うよね。
社会変革なんて政治家にしかできない(あるいは政治家にもできない)と思うかもしれない。

それは社会変革の定義による。フランス革命みたいな全面的で急激な社会制度の変化は、私の一人の力では当然望むべくもない。ただ、この私自身もごく小さいながら社会の一部をなしている。極論をいえば私自身が変わるだけでも社会はほんのわずか変化したことになる。私の変化に影響を受けて、私の家族や友人たちがわずかに変化すれば、これもごく小さな社会変革なんじゃないだろうか?

私のいままでの成功体験は、学業に関するものだけだ。私は、入学試験も資格試験もほとんど落ちたことがない。ある意味、ゆるぎない自信を持っている。その一方で、自分が何かのアイディアを提示し、周囲の人たちを巻き込みながら、建設的な形で何かの物事を達成したという経験が極端に不足している。それゆえに、私は社会を自分にはどうにも変化させようがない静態的なものととらえがちで、自分の気に入らない部分をひたすら批判するという評論家的な態度になりがちだった。評論家的態度ゆえに、視点がマクロ的になりがちで、相対的に自分が極めて卑小に見えて、ますます自分が社会に働きかける能力について絶望するという悪循環だった。

現在の日本の政治や経済の動きには大変不満がある。だが、そうした動きを完全に受け身で甘受しなければならないということはないはずだ。いまここに私は現に生きている。生きている以上、ごくわずかでも働きかけすることができるはずだ。そして、働きかけを行い、現実が1ミクロンでも形を変えたら、私は深い満足感を覚えるのではないか。社会の諸矛盾に対する怒りを鎮めるには、実はそれだけで十分なのではないか。

私はいま面白い人たちを呼んで何かイベントがやれないだろうか、と考えている。それで何らかの刺激を受ける人たちがいれば、ほんのわずかだけ社会が変わったということじゃないだろうか?

私自身ももっとブログの更新回数を増やさなければならないと思っている。私には、そういう自覚がないのだが、私の世界観を面白く思ってくれている人たちが一定数いるらしい。私は、日々いろんなことを猛烈に考えているのだが、いろいろ遠慮があって文書化できていない。なるべく自分の考えを言語化してブログにアップしたい。それで誰かが何かを考え、あるいは行動を変化することがあれば、それはほんのわずかの社会変革であろう。それが私のできることのすべてであり、喜ぶべきであり満足すべきなのだ。

Skype 相談では、いくらかお金をいただくことにはなるが、私の経験を可能な限りシェアして、人々の問題解決の一助になりたいと考えている。

私が本当に心からこの世で果たしたい(果たすべき)仕事を探している。それは、まずはカネを稼げなくても、他者との接点で何らかのムーブメントを起こすところから始まるような予感がしている。その中で、なんとか自分が生きていくのに可能なだけのカネを稼いで物理的に生存しつつ、自分のアイディアを現実化していくのが私の果たすべき使命なのかもしれない。