日本批判者の不都合な真実

昨日は横浜のコワーキングスペースタネマキで、いまをときめくウェブサービスDesignClueを運営する柴田社長を囲んで、開発の苦労話や今後の展望を聞くイベントがあった。 柴田さんは27歳と若いが、DeNA でのインターンソフトバンクアカデミアでの経験を経て、起業に関する心構えはとてもしっかりしていた。礼儀正しく気さくな好青年であった。

DesignClue では、日本人の発注者が、海外に住むデザイナーにロゴを発注できる。面白いのは、選択肢と自動翻訳を活用して、日本人は日本語で発注ができ、外国のデザイナーは注文の内容を英語で確認できるようになっている点。日本人が外国人と取引するうえで一番抵抗を覚えるのは言語の違いであろうが、それを自然に乗り越えられる仕組みになっているのだ。また、外国の発注するからといってロゴの価格を大幅に下げるのではなく、一定の価格を維持することで高品質なロゴが供給されるように心を砕いているのも興味深い。

柴田社長は、高校時代をカナダ東端のノバスコシア州で過ごし、多文化社会を体感した。その経験が、世界中の人たちとチームを組むという DesignClue の発想につながっている。

日本にも優秀な人がいるんだな、と驚いた。最近、別の場で、弱冠20歳にして起業家への道をひた走っている才気あふれる若者に出会った。近頃は、こうしたやる気にあふれまくっている若者向けへの事業計画コンテストも多数開催されるようになっており、採択されれば出資を受けられることもある。有名なところは、MovidaOpen Network Lab だろうか。

こういう起業家志向の人たちは持っているオーラが違う。ごく自然体で、技術を通じて社会の諸問題を解決しようとしている。彼らは「社会に問題が多すぎる」などと愚痴を言ったりはしない。むしろ「社会問題にこそビジネスチャンスがある」と考える。問題に直面してもパニックになるのではなく「どうやったら解決できるか」と冷静に考え、一つ一つ現実的な手を打っていく。

私は、この数年間、日本社会を批判し続けてきた。まっとうな批判もあっただろうが、基本的にこれは自分の弱さゆえであったように思う。つまり「私には力がないので、社会に問題があれば、容易にその犠牲になります。自分の力で問題を解決することはできません。どうか誰かほかの人たちが社会を良くしてほしい」と弱音を吐いているのと同じだったのだ。

日本社会がいま直面している諸問題は、決して簡単に解決できるものではない。多くは構造的な問題で、さまざまな問題同士が互いに補強しあうようにかみ合って、社会の閉塞感をもたらしている。しかし、構造的問題のない社会があるだろうか?経済ブームに沸くアジア諸国だって、一皮むけば問題だらけのはずだ。社会に問題があるのはむしろいつの時代も当然のことで、それらを解決したり改善したりするために私たちは働いているのではないか。

私はこれからも腹が立つことがあるたびに、日本社会を批判してしまうだろう。自然な心情ではある。だがそればかりでは進歩がない。「よし、問題があるのはわかった。ではどのようにしたら解決できるのか。それに対して自分ができることは何か」と同時に自問すべきであろう。ビジネスの形でその問題が解決できれば誰もがハッピーになれるのではないか。現実の行動を起こせるように、自分が社会へ働きかける能力を段階的に鍛えていきたい。