日本社会から逃げずに向き合う
今日は、ある外国につながる(外国人の親をもつ)子供たちに日本語を教えるボランティアの打ち合わせに行ってきた。楽しい時間ではあったが、いろいろ問題点も多いなと感じさせられた。
主催者は長年地道に活動している団体で、いたってまじめで真剣だと思うのだが、いかんせんリーダーが高齢の方ということもあり、やり方が古臭く感じる。もっとソーシャルメディアやデジタル機器を活用すればいいのになと思いつつも、「授業で iPad を使いましょう」などと言ったら卒倒してしまいそうな雰囲気だ。しかし、話を聞いていると学校や行政側はそれに輪をかけて保守的な印象である。
この活動では、ボランティアが定着しないらしく、常に人手不足に悩んでいるようだが、それもむべなるかな、という感じではある。なんせボランティア側の負担が重すぎるのだ。日本の教育業界自体が、おそらく無限サービス残業のブラック産業であるがゆえでもあるせいだろうが、これではやりたくても長続きしない人が多いのは無理もない気がする。IT ではなく紙ベースでやっているがために、教えることとは関係ない事務作業が多すぎる。仕事が苦痛になるのは、その本来の活動以外の雑務が増えすぎるときだ。ボランティアに定着してもらうには、仕事自体を楽しみにしなければならないのではないか。雑務をさせたのでは、ボランティアは逃げていく気がする。
なかなかたいへんな話だ。以前の私なら、理詰めで、初期条件からこれから起こりうる最終的な結果までの一連の出来事を瞬時で想像して「ああ、ダメだ」と投げ出していたかもしれない。だが、今回は少しだけ行動パタンを変えてみたい。とにかく最初は、彼らのやり方を受け入れてみたい。受け入れて彼らの枠組みでそれなりに成果をだせば、多少は話を聞いてくれるかもしれない。話を聞いてくれなかったとしても、現実的に改善する方法を思いつくかもしれない。
私は茨城県の片田舎で育った。なんでそんなところに住んでいたかというと地方出身の私の父がそういう田舎ぽい場所が好きだったのだ。しかし私の住んでいた地方は、本当に保守的な土地柄で、進取の精神をもった人たちはみんなあきれて逃げ出した抜け殻みたいなところだった。いま思えば、私は、革新的な世界観を持っていた「頭の良い」子供だったのだが、私の考えは保守的な小学校の教師たちにはことごとく受け入れられなかった。私が「なぜ?」と問うても、納得できる返事は帰ってこなかった。あの時から、「大人たち」は私の敵だった。その「大人たち」が私の日本社会に対するイメージの原型を形作っている。私の日本嫌いの源泉であろう。
私はもう子供ではない。少なくとも見た目は立派な大人になっている。私が冷静に理路整然とある主張を行えば、社会もそれを容易には無視できないはずだ。私に求められているのは、本来の意味でのコミュニケーション能力だろうと思う。文化的な文脈を合わせて、相手の立場で物事を見ながら、正しく自己主張することだ。そして、ほんの少しだけ現実を変えることだ。
いま私がボランティアをしているのは、いままでいた IT 業界のほかに、日本社会のいろんな側面を探究したいからだ。ただ、ボランティアベースの活動で引き出せるリソースには限界があると感じる。人が全力で自分のリソースを投入するのは、通常、カネをもらってする仕事に対してだ。やはり世界をもっとも力強く変えていくのはビジネスなのだろう。だが、私は自分でビジネスを始める心の準備ができていない。何が障害になっているのか、今後、ここに書き記していきたい。