反応する広告とプライバシー(後編)


■プライバシーの定義


プライバシーとはなんだろうか?
はてなダイアリーのキーワード定義から一部を抜粋すると、

家庭の内情や夫婦の寝室などのように純然たる私生活・私事に属する事項。他人の干渉やのぞき見からこれを保護することが個人の尊厳を尊重する思想の下では要請される。個人が他人に煩わされずに幸福を追求する権利は憲法上の権利であり〔憲法13条〕、この種の権利はプライバシーの権利と呼ばれ、人格権の一つであるとされる。

とのこと。また、次のような文章もあった。

近年では情報化に伴い、「Individual's right to control the circulation of information relating」(自己情報コントロール権)が重要視されている。

こちらの方が、私の問題意識に近い。プライバシーとは、情報技術との関係でいうかぎり、自己に関する情報(個人情報)に関して、誰にどの程度与えるか決定する権利と言ってもよいのではないか。


それでは、個人情報とは何だろう。「個人情報論序説」は、ワックスという学者の次のような分類を紹介している。

01 生物学的情報
02 家庭 
03 家族関係
04 雇用
05 金融情報
06 医療情報
07 教育情報
08 イデオロギー的情報
09 警察・役所の情報
10 余暇活動
11 習慣
12 旅行やコミュニケーションに関する情報

確かにだいたいこんな感じかもしれない。


前節での仮説は、「反応する広告は、広告を見る人の個人情報を包括的に持つほど、その人にマッチしたソリューションを提案できる可能性が高まる」ということだった。ただし、現実には、プライバシーの観点から個人情報の露出を好まない風潮がある。それはなぜだろうか?


ウェブサイトで新しいサービスにサインアップするときに、住所を書かされることが多い。私は少し抵抗を覚える。なぜ住所を書かなければいけないのだろうか?と。おそらく僕と同じように感じている人は多いだろう。なぜ抵抗を覚えるかといえば、おそらくは、そうやって情報を与えることによって、好ましくない営業のアプローチ(たとえばダイレクトメールやスパムメール)を受けるのではないか、という恐れを抱くからだ。世の中には、「下手な鉄砲、数打てば当たる」式のマーケティングは多い。たいていの人がその犠牲になった経験があるので、個人情報の開示に慎重になるのではないか。


しかし、もしコンテンツ連動型広告等の「反応する広告」が究極に進化し、個人にマッチするソリューションを提供できるようになったら、個人情報は積極的に開示するのが消費者にとっても利益になる時代が来るのではないか。現在、個人情報を開示する最も優れた方法はおそらくブログを書くことである。そこでは、ある人の人となりが克明に記されることになる。反応する広告にとっては、最大の情報源ということになる。


・・・うーん。ブログマーケティングはよい、みたいな結論になってしまったが、僕がいいたいことと少しずれている気がする。要は、いままでは「個人情報はなるべく隠しましょう、ひどい目に会うから」という時代だったのが、「可能な限り、個人情報を開示しましょう。きっといいことがあるよ!」という時代に移りつつあるのではないか、という認識がこの文章を書く動機だった。はてな等、先端的な IT 企業は、採用時に応募者のブログを見て、重要な判断材料にするという。いまの世間一般の反応は、「へー変わったことするねえ」だが、そのうち当たり前になるのではないか。そもそも、履歴書や職務経歴書の数ページの文章では、一人の人間は表現しきれないわけで、ブログのような個人を包括的に表現するメディアに、企業の人事部が注目するのは当然のことではないだろうか。「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)」で梅田氏は次のように述べている。

その勉強のプロセスを、ブログで公開してしまうことにしたのである。・・・そして、私が何か新しいアイディアを仮説として提示すれば、読者からの真剣なフィードバックが、私の視点をどんどん押しひろげてくれる「正のループ」が生まれるようになった。

私自身、このブログを通して、そんな教育的な体験ができたらいいな、と思っている。