「商品」を売るのか、それとも「経営手法」を売るのか


先日紹介したはじめの一歩を踏み出そう―成功する人たちの起業術」との奇妙な符合。職人に経営は無理なのか。


先日紹介した板倉雄一郎氏のブログエントリ「オーソドックスか、奇抜か」を読んだ。


投資家から見たいい会社とは、という問いに対して、「商品」と「経営手法」という2つの属性が「オーソドックス」「奇妙」であったらどうなるか、という観点から分析を行っている。


結論としては、「オーソドックスな経営&奇抜な商品」を持つ会社が投資家にとってもっとも魅力的である、と述べている。(例:Google) 次に来るのが、「オーソドックスな経営&オーソドックスな商品」を持つ会社である。板倉氏は、経営はオーソドックスであるべきだ、考えているようだ。


同じく板倉氏のブログエントリ「アイデアと経営」の次の一節は、なぜオーソドックスな経営が好ましい理由を明確に示している。

僕に限らず、おそらく大部分の人は、「すばらしい『商品としての』アイデア」(と、少なくとも本人が認識しているアイデア)を思いつくと、経営はそれにすがる傾向があります。よって、そのアイデアをお金に換えるための事業を遂行する際、すざんな経営になりがちです。
一方、「すばらしい『事業戦略としての』アイデア」が思いつけば、それ自体が一つの経営手法となりますから、経営に没頭できます。よって、商品がどこにでも転がっているようないわゆるコモディティーであればあるほど、経営力によって、それを克服しようとします。

これは、「はじめの一歩を踏み出そう―成功する人たちの起業術」の主張と、不思議によく似ている。
本書には次のような一節がある。

起業家にとっては、事業そのものが商品である。
職人にとっては、商品とは顧客に手渡すものである。

板倉氏がこの本をよんだかはわからない。しかし、彼は、自分自身かつて「ハイパーシステム」という「商品としての」アイデアに惚れ込み、自社の経営をおろそかにした結果、倒産という憂き目に遭っている。その経験を踏まえての発言は、重みがある。


商品にこだわりすぎる人は職人なのだ。そして、職人的視点で経営すれば、会社は傾くことになる。
以って自戒としたい。