新興国の労働者との競争

う〜ん。

労働市場の分断を排し、会社身分制を段階的に解消していくには、経済合理性な雇用規制を考える必要がある。それは制度によって正社員と派遣社員とを峻別するのではなく、経済合理的なトレードオフを想定しつつ、制度的に失敗できる機会を増やす方向で弱者を守ることだ。具体的には従業員が企業に対して、雇用か能力開発機会いずれかの保障を要求できるようにするのである。企業は従業員を飼い殺したければ雇用を、使い捨てたければ能力開発機会を保障しなければならない。


雇用を保障するとは不合理な理由で解雇しないことを保障することで、能力開発機会を保障するとは潰しの効く業務を振り、教育機会を提供し、自己啓発のための休暇、失業リスクを織り込んだ高めの給与を支払うことである。このトレードオフは企業が先のみえない仕事で従業員を使い捨てることを禁じる。潰しの効かない職種に対しては雇用保障を求め、雇用保障の難しい職種に対して高めの待遇を義務づけることで従業員による自助努力を支援する。企業が経営の自由度を確保するには、人を飼い殺し、使い捨てることを止めなければならない。人を大事にしない会社ほどコストのかかる仕組みをつくって経営改善を促し、リスクをヘッジできない弱者に対してセーフティーネットを提供するのである。

上でいろいろ言っているが、ごく簡単に要約すると「ホワイトカラー(高度技術者を含む)は首を切っても OK。でも、ブルーカラー(単純事務員を含む)はずっと雇ってね」という方向で規制せよ、ということでいいですか?

日本の労働市場がおかれているマクロ的な環境を考えてみよう。日本の企業はいま工場を作るとき、どこに工場を作ろうか、と考えているのだ。昔みたいに、「北海道に作ろうか?」「九州に作ろうか?」という選択だけでなく、「中国につくろうか?」「ベトナムに作ろうか?」「インドに作ろうか?」等々、無数の選択肢がある。新興国もさまざまで、深センを含む珠海デルタは、相対的に賃金は高いがインフラはしっかりしている。(それでも工場労働者を一人、月2万円も出せば雇える)ベトナムはインフラはいまいちだが、賃金は安い等々。こういう人たちと日本の労働者の多くがモロに競争しているのだ。こういうことは普通にローカルに暮らしている日本人にはわからなくても、経営者の視線で見れば明らかなことだ。

もし単純労働者をずっと雇用せよという義務を企業に課せば、単に日本では単純労働者を雇わなくなるだけではないかな。

・・・と書いてきて、それでもいいのかもしれない、と思い返した。

問題の根源は、中国で労働者が2万円でやる仕事に対して、日本では労働者に20万円払っているという事実だ。そもそも、無理があるんですよ、ここに。最終的にその手の仕事は、外国に行くしかない。私が問題だと思うのは、正社員と派遣社員身分制度のようにして峻別することで、その痛みが派遣社員に一方的に負担させられているということだ。この区別を取り払うことで、単純労働者が減少していくちう痛みが、そのグループ全体で負担されることになる。しかし、それでも痛みが伴うこと自体は避けられない。

だとすれば、さっさとこういう動きが進めばいいのかもしれない。日本人が現在の賃金水準を維持するには、それに見合った生産性の高い仕事をするしかないのだ。どんな規制であれ、そうした方向へ企業活動を促すものであれば、いいのかも。

ただ中高年の人たちで、新しい種類の仕事になじめない人たちをどう救うかという問題はあるね。こういう人たちへの社会的セーフティネットは用意されるべきだろう。

私には、とにかく解雇をしやすくする、ということに限るような気がするな。これで困った人たちは、別口でセーフティネットを用意する。労働者を保護するという視点も重要だけど、それ以上にいまの時代、日本企業や外国企業にとって、日本列島に住む人たちが、高い賃金で雇うに値する魅力的な人たちだ、と納得させることが重要ではないかな。労働規制を下手に強めると、企業が日本から出て行って、ますます労働者が困るということになりかねないので。