貴族化した日本人

昨晩は、タムさんといろいろと話をした。タムさんは、明るい活発な性格の20代半ばの女性である。大学卒業後、現在は台湾系のオーディオ部品メーカーで事務の仕事をしている。この台湾メーカーは、ベトナムに工場があり、そこで生産した製品を日本のオーディオメーカーに販売している。そこで、日本語のできる彼女が雇用されたわけである。給料は300ドル。ホーチミン市内に妹さんと二人暮らし。その家賃は、たしか30ドルくらいだそうだ。私が思い切って「生活は楽ですか?大変ですか?」と聞いてみると、「先日買ったバイクの支払いが今月まであって、大変でした。月200ドルずつ返済していたので」と笑顔で答えてくれた。二人で腹いっぱい食べた大衆食堂の支払いが、7万ドン(437円)。今日も彼女が払おうとするのを制止して、買い物の手伝いのお礼だと言って、私が支払うと、彼女は照れくさそうに笑った。

タムさんは、いまどきのサイゴンの典型的な「OLさん」の一人であろう。300ドルという給料は、絶対額でいえば東京のOLよりずっと少ないが、サイゴンの物価も東京に比べれば安いことも考慮しなければならない。

東京で同じ仕事している若いOLがいくら給料をもらっているだろうか?仮に手取りが15万円だとしてみよう。1ドル=100円で計算して、月1500ドルの給料ということになる。1500 割る 300 は 5 なので、約5倍程度感覚が違うと考えてもいいかもしれない。つまり、サイゴンである物が100円で売られていれば、東京では500円くらいの重みがあるということである。

サイゴンでは、この数年物価が大幅に上がったために、ベトナム人向けの食堂でも、3万ドン、4万ドンというメニューは結構ある。4万ドンといえば約250円なので、5をかけて、1250円。外食の度に1250円とか出て行くとしたら、生活はそれほど楽ではないかもしれない。

彼女に比べれば、いまの私は、湯水のように金を使う浪費家であろう。それでも、東京にいるときほどの支出ではないのだが。その事情は、日本語を長く学んできた彼女は、よく理解している。彼女の口からは何度か「外国人は特別なんです」という言葉が出た。ベトナム人から見れば、ここを訪れる欧米人や日本人ははるかに恵まれている。お金もあるし、自由にどの国にも行ける。ベトナム人としては、外国人とベトナム人の事情は別なのだと考えなければやりきれないだろう。彼女は「できれば日本に留学したいのですけど・・・」と遠い目をした。

私は、ここベトナムにはリアルな問題があると思った。それに比べると、日本で、やれニートだ、やれ非モテだと騒いでいる議論がなんとも浅薄な問題に思えた。途上国の若者には、乗り越えがたい絶対的な制約が課されていて、それでもそれを乗り越えようと必死の努力を重ねている人たちがいる。日本の若者は、すべてを持っていて、何でもできるのに、その権利を行使せず、文句ばかり言っている。

しかし、一方で、人間というのはいつの時代でもこうなのではないか、とも思う。貧しい時代はなにふりかまわず努力するけれども、豊かな時代が続くと、生活は洗練されていく反面、枝葉末節の問題にはまり込んでいく。いまの日本人全体は、平安貴族のようなものではないか。たおやかで洗練されていて、しかし、線は細い。わずかな欠陥や不潔さも許容できず、環境の変化にも適応できない。平安貴族は、最終的に、田舎の野武士たちによって権力を奪われた。精緻な文明を築きあげたローマ帝国は、粗野なゲルマン人の侵入により滅んだ。21世紀の日本はどうであろうか。新興国の台頭を目の当たりにして・・・。