フィリピン人スチュワードとの会話

ブイヴィエン通りのベトナム料理屋で飯を食っていたら、東洋人がきれいな英語で話しかけてきた。30前後の物腰柔らかい美男子である。どこの国の人かと思ったらフィリピン人だった。フィリピン航空のスチュワードでいまは休暇でサイゴンにいるという。普段は、マニラと東京の間のフライトに搭乗していて、週に3回、日本とフィリピンを往復する生活だということだ。奥さんと小さい子供を住ませる住居を東京の中心部に探しているというので情報をあげると、大変喜んで彼の持っている写真を見せてくれた。新宿・渋谷・六本木・秋葉原・お台場・・・といった東京の観光スポットを背景にした彼の写真が大部分だったが、中には生きたニワトリを抱えたお父さんとの写真が混じっていた。どうして、ニワトリ?と聞くと、彼のお父さんのビジネスに関係しているという。お父さんは、養鶏業の傍ら、養鶏用のビタミン剤や薬などを生産する事業家であるらしい。養鶏農場だけで、25ヘクタールあるというから、大変な富豪であろう。彼自身も4年間のイギリス留学生活をしたことがあるという。

この礼儀正しいスチュワード氏の責任ではないが、フィリピンはとにかく貧富の差が激しい。彼の家族のような人もいれば、一日2ドル以下で生活している貧民も大勢いる。フィリピンは、かつて東南アジアでもっとも先進的な経済を持ちながら、その後、一進一退を繰り返してなかなか先に進めなかったのは、根本的には、この貧富の差の問題があるからだろう。階級が分断され固定されている社会は、悲惨であると私は個人的には思う。

フィリピンの社会的分断を思うとき、日本の「格差社会」などジョークである。いまでも、日本は世界的にはみれば、貧富の差が少なく、社会的流動性も維持された社会といえるだろう。(近年、社会的流動性が低下してきた可能性はあるけれども)その点、ベトナムもまだまだ社会的流動性が高い社会なのではないか。私のベトナム人の友人で、父親が共産党の幹部という人がいる。しかし、彼女は、エリート意識を持つこともなく、他の普通の家庭の出身のベトナム人たちと、ごく自然に付き合っている。社会主義は、多くの発展途上国において、固定された社会的階級制度をいったん解体し、より平等な社会を作ったという意味では、積極的な意味を持っていたと思う。(もちろん、さまざまな負の側面を持っていたことも否定しないが)

ところで、このフィリピン人スチュワード氏は、面白い話をしてくれた。ほとんど芸能ゴシップの類の話なので、具体名は伏せるが、先日、ある有名な日本の女優がセブ島から東京へのフライトに乗っていたという。ファーストクラスに座った彼女は、1000ドル弱の免税品を機内で買い、ある日系のクレジットカードで決済をしようとしたが、拒否されて激怒したそうだ。Visa か Master であれば使えたのだが、彼女は Visa も Master も持っていなかった。彼女いわく「私はこの日系のカードのモデルをしているので、他のカードは使えないの」とのこと。やれやれ。外国じゃ日系カードはあまり通用しないのは、常識であろうに。この話にはオチがあって、彼女は自分の出世作となったドラマでスチュワーデスを演じていたのだ。それがおかしくて、彼にそのドラマのタイトルを教えてあげた。彼は「今度東京に行ったとき、Tsutaya で借りるよ」と笑った。