人口の 50% は平均以下

渡辺千賀さんが、そんな名前のエントリを書いていた。正確には、「人口の 50% は中位値以下」というべきだが、人口に関する多くの指標(IQ・身長・体重など)が正規分布に従うと信じられているので、その場合、平均=中位値となって、上の言い方は正しい。(所得に関しては、ロングテールなべき乗関数に従うので、平均≠中位値である。極端に所得に高い人たちが一定数いるので、それに引きずられて、普通、平均>中位値になる)

まあ、技術的な議論はともかく。

私が社会について言及するとき、一定のバイアスがかかっていることには自覚的でいたいのだ。私自身がいわゆる一流大学を出て、友人や同僚たちも同じような境遇の人たちが多い。多くの人たちは知的で、新しいことに挑戦する意欲があり、所得も平均以上である。

だが、日本の人口の半分はそういう人たちではない。そして、その半分の人たちについて、私はほとんど何も知らない。

あーあ。こういう言い方って、また反発を食らいそうだな・・・。「なに、その上から目線」とか。今回については、批判は甘んじて受けるしかないかもしれない。

ただ、ここを避けて通っていると、現実的な政策議論ができないと思うのよね・・・。

たとえば、地方の問題。

日本の地方は、過去数十年の傾向的な円高の最大の犠牲者で、発展途上国との競争に完全に敗北してしまった。農業ダメ。鉱業ダメ。唯一支えだった製造業さえいまダメになろうとしている。競争力のある産業がなく、雇用を維持するために、いまだに公共事業に頼る部分が多い。

日本全体で見たときにはイノベーションを活発にして、より知的で付加価値の高い産業を作り出すことによって、国際的に見て非常に高いレベルの日本人の所得水準を維持していくしかない。

しかし、もし新しい産業が「知的で付加価値が高い」としたら、それは誰にでもできるものじゃないかもしれないよね?地方にもし「人口の下半分(あーあ、言ってしまったよ)」が集中しているのなら、彼らには、こういう新しい産業の担い手になれというのは難しいのかもしれない。

宮崎の東国原知事とかは、「高速道路をもっと作れ」とか叫んでいて、なんというバラマキ政治家かと思ったりもした。だが、彼の立場に立ってみたとき、とりあえず、そうするしかないのかもしれないと考えてみる想像力は必要かもしれない。

難しいなあ・・・。不必要な公共事業は、無駄に自然環境を破壊するだけなので、できればやめてほしいのだが。「人口の上半分」の人たちに関しては、イノベーションが活発になることで所得水準が向上するとほぼ確実に言える。だが、「人口の下半分」の人たちについてはどうなんだろう?間接的に便益を受ける可能性はあるが、そこまで確信がもてないな・・・。

政治の役割が、「すべての人たちが飯が食える安心できる社会を作る」ことにあるなら、「人口の下半分」の人たちのほうが、適応能力が低いわけだから、彼らについて深く理解することが必須だろう。こういう人たちときちんと関わった経験がない私には、とやかく政策を論じる資格はないのかもしれないな。(と珍しく弱気)