ベトナムへの想い

サイゴンに帰ってきた。空港から家への道は、舗装がボコボコ。バイクの群れをクラクションで蹴散らしながら、ノロノロとタクシーが進んでいく。あまりに見慣れた風景。やれやれ、ベトナムである。

投資対象として、バンコクシンガポールと比較すると、残念ながらサイゴンには辛い点数をつけざるを得ない。社会的インフラ整備の遅れは目を覆うばかりである。なんせ地下鉄の一本もないのだから。急ピッチで開発が進んでいるとはいえ、現在のタイくらいの状態にもっていくのにさえ、あと20年は裕に掛かりそうだ。まして、日本以上のインフラを誇るシンガポールとは比べようもない。

しかし、昨今の投資ブームのために、サイゴンでは物価が過大評価されているようである。同じ値段を出すと、バンコクの方が、質のよい住居や食料を手に入れられる。ベトナムのほぼ唯一の取り柄は、人件費の安さだが、うかうかしていると、こうした物価の相対的な高さにあっというまに打ち消されてしまう。ベトナムの物価が実力相応になるためには、ベトナムドンがあと30%くらい減価して、1ドル=25000ドンくらいになる必要があるような気がする。

物価が高くなってしまうのは、生産効率が悪いからだ。タイではピックアップトラックで荷物を運んでいる。しかし、ベトナムではバイクの後ろに山盛りに荷物を積んで運ぶのだ。同じ一人の運転手が運べる荷物の量が違う。停電が多い。通信関係の配線がデタラメなために、インターネットがすぐに遅くなったり、切れたりする。そうやってインターネットが止まるたびにさまざまな業務がストップする。社会全体で生産の前提がきちんと成立していないために、生産効率がどうしても悪くなり、一生懸命働いても、生産物のコストは高く、従業員に払える給料は安いままだ。

ところで私はベトナムが嫌いかというと、むしろ逆である。この国には大きな魅力を感じている。それは、私がベトナム人それ自体に魅力を感じているからだろう。タイについては、まだよく知らないのだが、あえて断定してしまうと、タイ人はおとなしすぎて、腹で何を考えているかわからない。中国人は我が強くでしゃばりすぎる。その点、ベトナム人は、ちょうど日本人の肌合いに合うようなのだ。基本的に静かな人たちなのだが、芯は実に強い。大声でわめくわけではないが、一人一人がきちんと自分の生き方に従って、黙々と生活している。貧しいが、凛としている。ベトナム人たちと話していると、どこか心のざわめきがふっと落ち着いていくような安らぎを覚えるのだ。

ベトナムは、文字通り発展途上の国である。いま見えている風景の多くは10年後には姿を消しているだろう。現在のベトナムは、一瞬のうちに過去に押し流され、二度と戻ってくることはない。だから、いまの風景を、まだ素朴さを残した人々の心を記憶に留めて置こうと思う。