与太話の空しさ

最近、「日本オワタ!」議論がかまびすしい。体感的に現在の日本には閉塞感は感じるのだが、しかし、それを実証するのは難しい。GDP計算の方法に始まって、それを推定する有用なツールである産業連関表の話を勉強しているところで、そのあまりのテクニカルな難しさに心が折れそうになった。

この手の技術は最新の IT 技術と比べて特に難しいわけではないのだが、官庁・大学・金融機関・シンクタンクなどの外にいる人間には極端に情報が少なく、独学する方法が少ない。事実上、一部の人間が情報を独占している。せめて、オープンソース運動のように、情報を共有するオープンなコミュニティがあればよいのだが・・・。

大きな政府」「小さな政府」「日本経済の成長」「日本経済の衰退」・・・なんでもいいが、こうした話には必ず数字の裏づけが必要なはずだ。さもなければ、自分の周囲だけを見た印象論に終わってしまう。「ちょっといい」「すごく悪い」じゃなくて、「3%増加した」「30%減少した」とか言わなければ、共通の議論の土台に立てないだろう。

しかし、その数字を引っ張ってくるのがなかなか大変なのである。もうちょっとそこらへんがどうにかならないものか?すべての人の手元にあらゆる数字が一瞬で手に入るようになれば、大分、一般人の政策議論の質も向上するとおもうのだが・・・。

結局、みんな自分の日常生活の鬱憤を晴らしたいだけで、まともな政策議論などには関心がないだけなのかもしれない。政治というのはそういう人々の恩讐のターゲットになってしまう。その結果が「衆愚政治」だ。

でも、全ての人たちが産業連関表の仕組みや金融政策の具体的手法を理解したりするのは不可能に近い。やはり政策というのは、一部の技術者官僚(テクノクラート)の力がなければどうにもならないのかもしれない。昨今のややヒステリックなまでの官僚叩きの世論の中で、必要なテクノクラートまで根絶やしにしてはならないと思うが。