金儲けって汚れ仕事だよね

世の中の仕組みをつらつらと考えてみるとね。

東京では今日もどこかでソフトウェア技術者のための勉強会が開かれて、技術者たちが技術的なテーマについて熱く語りあっていることだろう。そこで、重要なのは、技術者にとって、面白いかどうか、自分たちの仕事を楽にしてくれるかどうか、であって、カネの話は出てこない。まるで、この世にお金という制約要素が存在しないかのように。

ところで、技術者に給料を払っているのは、究極的には、マーケターであり営業マンたちだ。実際にお金を払ってくれるお客さんを見つけてくる人たち。技術者は内心、彼らの品のなさを軽蔑している。なぜなら、彼らが取ってくる仕事といったら、技術屋からみたら、まるでくだらない、興味の持てない仕事ばかりだ。携帯SNSの釣りゲーム?はあ?そんなの誰がやるの?なにがうれしいの?

たしかにね。モノを作る立場からすると、お客さんの劣情を満たす作業はなんとも馬鹿らしい。お客さんの欲求が高尚だと感じることはほとんどない。また高尚なものからはほとんどカネが取れない。

これって、たとえてみると、私たちが食品としての肉を食べるプロセスに似てるんじゃないだろうか。スーパーに並んだ牛肉のパックも、元は生きた牛だった。それを、屠殺して解体する業者がいる。肉とは、要するに動物の死体の一部にすぎない。しかし、我々は食べる段階で、この前段階を意識しない。というか、意識しないように無意識に教え込まれている。

営業マンと技術者の関係も同じだ。営業マンが、生々しい現実を切り刻み、整理して、商取引の形に整理してくれるからこそ、技術者の仕事が生まれる。でも、技術者が仕事をしているときには、その前段階はあまり意識しない。むしろ、軽い嫌悪感をもって、その生々しいビジネスプロセスをぼんやり眺めている。

でも、誰かが屠殺業をやってくれているから、消費者がおいしい肉を食べられるということは、たぶんときどき思い出すべきだよね。そして、他の命を犠牲にして生き延びていく我々自身の業の深さについても。