裸の王様、日本人

最近、日本社会を外から見るに、格差社会だ貧者救済だとかまびすしい。国内の事情しか見ないからそういう話になる。世界的な視点で日本経済の現状を見ると、要するに、労働賃金という要素価格が、世界的に均等化していくプロセスにもろに巻き込まれているだけだ。

考えてみるといい。いまあなたがやっている仕事を中国人やベトナム人やインド人がやったら、いくらでやってくれるだろうか。急速に統合されている世界市場の中で、あなたが提供する財サービスは世界の人たちは、その値段で買ってくれるのだろうか。あなたの提供する財サービスより同等あるいは良質なものを、彼ら途上国の人間はひょっとして10分の1の値段で提供してくれるかもしれない。

思えば20年前、日本と途上国の経済力の差は圧倒的だった。社会的インフラについても、途上国のそれは話にならないほどひどかった。良質な財サービスは日本人にしか作れなかったし、途上国の10倍の値段でも世界の人たちが喜んで買ってくれた。

だが、いまや過去の話だ。日本人が気がつかないうちに、途上国の人たちの実力は大きく上がった。すでにコストパフォーマンスで言えば、日本を打ち負かしている分野も多い。いつの間にか日本人は裸の王様になってしまったのではないか。

「手取り12万円の月給じゃ暮らしていけない」と誰かが言ったとしよう。たしかにそれは気の毒な話だ。だが、同じ仕事を中国人が月2万円でやっているとき、本当に胸を張って、自分はさらに多くの給料をもらう権利があるといえるのか。日本人であるというそれだけの理由で、日本人は多くの給料をもらえるのか。

私を含め、多くの日本人たちはそれに対する明確な答えを持っていない。本来ならば、途上国の人たちができない付加価値の高い仕事をこなすことで高い賃金を得るべきだ。しかし、そんな分野はどんどん少なくなりつつある。日本人全体が、「日本人である」という利権に必死にしがみついて暮らそうとしている。利権にしがみつく者はいつでも保守的・防衛的になる。なぜなら、自分がその報酬に見合う仕事をしていないことにうすうす気がついているからだ。どこか後ろめたいからだ。日本人がいま内向きになり、まるで外国と切り離された世界にいるかのように振舞っているのは、そのせいだろう。

どうしたらいいのか。答えは難しい。

一般的に、先進国は、知識集約的な産業に比較優位がある。知識集約的な産業は、たとえば金融・IT・製薬などだ。だが、日本の場合、こうした知識集約的産業の成長が遅れている。特に金融とITは国際的な競争力がほとんどない。(日本人以外、サービスを購入してくれない)

ならば、日本人全体の所得水準が、発展途上国の所得水準にさや寄せされていくしかない。途上国の人たちと同じ仕事をするのだから、所得もやがて同じになっていくのは自然の理と言えるだろう。

だが、名目所得が下がるのは、きわめて気が滅入る。社会全体が暗くなる。デフレが嫌われているのは、それが名目所得さえ押し下げて、未来への希望を失わせるからだ。

できれば、緩やかに円安になっていくことで、外貨建ての日本人一人当たりの所得が減っていく形のほうが望ましい。1USD = 200円ほどまで下がれば、内外の要素価格均等化圧力も相当弱まって、デフレ的な効果は小さくなる。ただ、緩やかに円安というのは、緩やかなインフレを目指すのと同じくらい難しいだろう。基本的に為替レートは資本市場の事情で決まっているからだ。日本の金利が外国の金利よりもっと低くなれば、円安になっていくだろうけれども、いまはすでにゼロ金利。これ以上名目金利を下げられない。(おかげで最近は米国の低金利のあおりを食らって、円高が進行している)

というわけで、当面は名目所得が減っていく流れは変わらないだろう。自分たちの給料が自分の働きに見合わないほど高いことに気がつくのはつらいことだ。そういう苦しみを多くの国民がしばらく味わい続けることになるだろう。