この一年を振り返って反省する

私はベトナムに来る前こういうエントリを書いた。去年の9月のことだ。

なぜ外国へ行くのか

社会に関わるということ

私がベトナムに行くのは、ベトナムで人を雇うという経験をしてみたいからだ。日本は賃金が高すぎて、失敗した時のリスクが高すぎる。その点ベトナムの賃金水準はまだまだ安い。人を雇い、経営をするというのは難しいかもしれないが、これから私がやがて中年を過ぎ、老いを迎えたときに自分を支えてくれる中核的なスキルになると思うからだ。私は、いままですべて自分のことは自分でやってきた人間だ。人を雇い、権限を委譲し、仕事を任せるのは、ある意味とても怖い。だが、その怖さを乗り越えていかなければ、自分のビジネス上の成長はないと考えている。

その後一年。私は何をしたか。

ベトナムに来て、ベトナム人たちと交流した。若い人たちの友達をたくさん作った。ベトナム人を理解したかったし、ひょっとしたら若い優秀なエンジニアと知り合えるのではないか、という下心もあった。ベトナム語もずいぶん勉強した。おかげでベトナムという国の文化についてはある程度理解できるようになった。ベトナムという国に深く愛着を感じるようになった。ベトナム人というのは、葦のようにたおやかでかつ芯が強い。ベトナム料理も口に合う。生活面では、この環境に見事に適応したといえるだろう。

仕事の面ではどうか。告白しよう。実はほとんど前進がない。

こちらでオフショア開発をやっている日本企業といくつかコンタクトを取り、多少交流を持った。たまにブリッジ SE としての仕事の引き合いが来ることもある。だが、実際にはほとんど成約に結びついていない。Barcamp を通じて、各国のエンジニアたちと交流も持った。それはそれで楽しいが、一部の例を除いて、仕事には結びついていない。

どうしてだろうか。その原因を分析してみたい。

外的要因

日本の景気が悪い。昨年秋の金融危機の直後から、日本の大企業が IT への投資を大幅に絞った。オフショア案件が大幅に減った。

内的要因

実は、このほうがずっと大きい。ぶっちゃけた話、オフショア開発というビジネスモデルにまったく魅力を感じないのだ。オフショア開発の利益の源泉は、開発地における労働コストの安さだけである。要するに、人的資源の国際貿易である。裏返して言えばそれだけのことしかない。インドをはじめとして、世界中の開発途上国の企業が参入しているマーケットで、価格の叩き合いが起こっている。

自社開発のプロダクトを持たず、受託開発を続ける限り、ソフトウェア企業は本質的に人材派遣業にすぎない。

私は、そういう零細な受託開発企業を渡り歩いてきた。社長たちの苦労も間近で見てきた。私に同じ苦労ができるだろうか。できないわけでもないだろうが、できればしたくない。そもそも、自分は組織の中で働いてあまり楽しい思いをしたことがない。そういう人間が組織を作ってそのトップに立つというのが矛盾している。私は、人を雇うことを通じて、従業員にコミットしなければならないことを恐れた。つまり、他人の人生を抱え込むのである。それが怖かった。自分が、本当にやりがいを感じているビジネスのために、人を使わざるを得ないというならまだしも、オフショア開発という魅力の乏しいビジネスのために、そこまでの苦労を背負い込む気になれなかった。

ははは、矛盾しているよね。去年言っていることと違うよね。笑ってほしい。これは自己批判すべきだと思う。

オフショア開発企業の社長はいくら稼げるのだろうか。仮に10人のベトナム人を雇ったとする。給料や社会保障費を含む月間コストが一人平均 7 万円とする。1年間120人月の人的リソースがあるわけだ。稼働率を 80 % として、仕事に振り向けられるリソースは、120 x 80% = 96人月。日本のマーケットにソフトウェアを輸出するとして、1人月が20万円で売れたとして、粗利益が (20 - 7) * 96 = 1248万円。さらに事務所家賃・光熱費などを差し引いていくわけだ。そうした一般管理費が月15万円発生するとして、15 * 12 = 180万円。差し引き、営業利益は 1248 - 180 = 1068万円、ということになる。ベトナムは IT 企業に対する優遇措置があるので、設立からしばらくの間は法人税はかからない。

ベトナムでの生活費の安さを考えると1068万円というのは悪くない。しかし、これは理想的なシナリオである。実際には従業員が10人というところまで持っていくのに果てしない苦労がある。東京で営業活動することが必要になってくるが、そんなことをしたらとたんに1000万円くらい吹き飛んでしまう。営業マン一人を雇うのが精一杯だからだ。

受託開発はひとつひとつのプロジェクトに大きなリスクがある。チームメンバー・プロジェクト内容・使用技術がすべてプロジェクトごと異なるので、いままでのノウハウをうまく生かせないことも多い。プロジェクトは簡単に遅延して余計に人的コストがかかるし、最悪、いろんな理由でプロジェクト自体が完結しないこともある。(最終成果物を納品できない)そういう場合、開発業者が責任を取らされて、代金を減額されたりすることもある。

そうしたリスクを半ば力づくで乗り越えていくのが受託開発であった。しかし、それを自分の責任の下に遂行しなければならないのか、と考えるとなんとも気が重かった。

要するにやりたくなかったのだ。外的要因がどうのこうのというのはおこがましい。そんなしがないビジネスモデルに基づいて自分で会社を興して、ビジネスが失敗するのが怖かったし、逆にいえば、その怖さであきらめる程度の執着しかなかったとも言える。

結局のところ、何が問題なのか。それについても考えがいろいろあるが、今回はとりあえずここまで。